新人セラピスト(理学療法士・作業療法士・言語聴覚士)とリハビリ学生を応援するためのブログ

もっと自己主張していこう!~イタリアのリハビリテーションから学ぶ~

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こんにちわ!きんたろーブログ(@kintaroblog)です!(^^)!

 

さてさて、今月届いた認知神経リハ学会の会員雑誌。

 

今回、この雑誌の冒頭で書かれていたコラムが凄く素敵で感動したのでちょっと紹介させて頂きたいと思います。

 

書いてくださったのは、高知医療学院の平谷先生。

 

平谷先生は最近までイタリアのサントルソで研修をされており、先日日本に帰国されたそうです。

 

ただ、今回お伝えしたいのは認知神経リハがどうのといったことではなく、一人の日本人セラピストとしてどうあるべきかというのをこのコラムを通して感じていただきたいのです。

 

では、そのコラムをご覧ください。

※一部改変しています。

 

『マドリードのアドリアン』

 

昼下がりの訓練室、この日僕(平谷先生)はいつものようにリゼッロ先生と左片麻痺のルイージの訓練をしていた。

 

サントルソ認知神経リハビリテーションセンターには5つの訓練室があり、リゼッロ先生の訓練室は2階の一番奥にある最も広い訓練室だ。

 

この訓練室はセンターの中で最も高い位置にあり、若干の近寄りがたい雰囲気が漂う訓練室でもある。

 

訓練も中盤に差し掛かったところで、ノックの音と共に「Permesso(失礼します)」という声が訓練室に届いた。

 

アドリアンだ。

 

アドリアンはスペインのマドリード出身の理学療法士で、以前はアメリカのアパレルメーカーに勤務していたこともあり、母国語のスペイン語、イタリア語、英語が話せる博識の持ち主である。また、非常に陽気な性格で、研修生達の笑いの中心にはいつもアドリアンがいた。

 

そんなアドリアンが、他の患者の治療をしているはずの時間に、なぜかリゼッロ先生の部屋の前に立っている。

 

リゼッロ先生が「どうしたの?」と聞くと、アドリアンは

 

「この患者には、今やっている訓練ではなくて自分の考えた訓練が有効だと思う。だから僕に訓練をやらせてくれ。」

 

と言った。日本であれば中々有り得ない光景である。

 

リゼッロ先生はセンターの長い歴史の中で献身的に研究を続け、現在はセンター内における全ての権限を握るセンター長である。

 

一方でアドリアンは1年ほど前にスペインから来た研修生であり、正直まだイタリア語も完全にはしゃべれないような状況にある。

 

そんないわば新米理学療法士のアドリアンが、リゼッロ先生に挑戦状をたたきつけたのである。

 

この時、イタリアに住み始めて既に7ヶ月が経とうとしていたが、未だに超日本人的な感覚をもつ僕の脳内は凍りついた。

 

同時に「これはやばいことになりそうだ・・・」

 

と直感的に感じ、この部屋から出ていきたい衝動に駆られた。

 

しかし、現実は僕の全く想像していなかった方向に展開していった。

 

リゼッロ先生は「OK」とだけ言い、行っていた訓練をすぐさま中止し、患者の隣のスペースをアドリアンに明け渡した。

 

(ここからはアドリアンの訓練の具体的な内容になるため割愛します)

 

・・・

 

結果は、訓練中に思うような結果が出ず、良好な訓練とは言い難いものであった。

 

訓練実施後、最初は意気揚々としていたアドリアンの表情は曇っていた。

 

落ち込むアドリアンと少し議論した後に、リゼッロ先生はアドリアンに対して

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「なぜこの患者さんに対してはうまくいかなかったのか、一緒に考えていこう」

 

と優しく声をかけた。

 

普段は非常に厳しく、回診の際には研修生を泣かせることもあるリゼッロ先生だが、この時はこれまで見たこともない柔らかな表情で落ち込むアドリアンを見ていた。

 

少し前に日本では、某大学のアメフト部の問題が世間を賑わせていた。

 

権力を持つ強者と、それに従う弱者。

 

同じような構図は、日本のリハビリテーションの世界(臨床・教育)にも見られないだろうか。

 

様々な抑圧を感じることもなく、自分の意見を主張することのできるアドリアンを見て、正直私は羨ましいと思った。

 

同時に、リゼッロ先生のみせたアドリアンに対する厳しくも寛容な振る舞いの中に、イタリアが世界に向けて常に新しい情報を発信し続ける事のできる理由を垣間見ることができたような気がした。

 

日本人の多くは、自分の意見を持っているにもかかわらず、様々な理由からどこかでそれを抑制する傾向にある。
ある意味それは日本人らしさであると思うが、患者の回復を考え、議論を重ねていく際には全く何の役にも立たない日本人の特性である。

 

今の僕はアドリアンのような振る舞いが出来ているであろうか。

 

そしてこの文章を読んでいるあなたはどうだろうか。

 

・・・

・・・

 

いかがでしたでしょうか?

 

僕はこれを読んだ時に、大変感動し素晴らしいと心底思いました。

 

なぜなら、アドリアンという人物は僕の対局にいる人物だからでしょう。

 

ぼくは、施設のトップの人間に

 

「僕の治療を試させてください!」

 

なんてことはきっと言えません。

 

だからこそ、こういった自分の主張を惜しげもなく発信できるアドリアンの姿勢が本当にかっこいいと感じました。

 

日本人の社会では縦社会が主流で先輩を重んじる社会です。

 

だから、先輩に意見するということはかなりの覚悟を伴うし今後の交友関係にも影響するため、ものすごく気を遣います。

 

そして、日本のリハビリテーション業界でも「先輩セラピストの経験論」が物を言わせる風潮が少なからずあります。

 

ですが、アドリアンのように今回は失敗に終わってしまいましたが、もしかするとそういった後輩や新人といった人たちの意見や考えがすごく重要なヒントを兼ね備えていることがあると僕は思うのです。

 

いまこの瞬間に刻一刻と医療に関する新しい知見が世界中で論文ベースで出されています。

 

日本の論文で最近言われ始めていることも世界の論文を読むとそれは10年以上前の知見だったりするのです。

 

科学は常に変化し続けているにも関わらず、臨床は経験論のみで対処すると…

 

これだと、必ずどこかで限界が来るような気がしてなりません。

 

だからこそ、やはり僕たちは日頃から勉強をしなければならないわけで。

 

そして大事なのはここで、『勉強』することに先輩も後輩もありません。

 

いろんな人がいろんな視点で議論しあってリハビリテーションをもっと発展させていけたらと思うのです。

 

そして僕自身もアドリアンのように、自分の意見をきちんと主張できるそんな人間になっていきたい。

 

そう思うんです。

 

 

 

 

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