こんにちわ!きんたろーブログ(@kintaroblog)です!(^^)!
前回は、『身体図式』と『身体イメージ』の違いという切り口からお話しさせていただき、その後『身体図式』は残存しているが、『身体イメージ』が欠落している症例(シュナイダー)をご紹介させていただきました。
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さて本日は…
もう一症例紹介します。
前回のシュナイダーさんとは正反対の病態を呈した症例を今回ご紹介させていただき、最後は二人の症例を比較しながら『運動学習』という部分にも少しだけ触れていこうと思います。
では本日もよろしくお願いします!
『身体図式』と『身体イメージ』の違いって?
意識しなければ動かせない身体
さて、今回ご紹介するのは、イアン・ウォーターマンという人物ですが、ご存知でしょうか?
彼についてはイギリスの神経生理学者であるジョナサン・ポールが論文にまとめています。
ウォーターマンさんは、精肉加工をする仕事をしており、あるとき仕事中に刃物で誤って手を切ってしまいました。
そして、不運なことに傷口から何らかのウイルスに感染し、その影響により神経障害を患ってしまったのです。
その神経障害というのが非常に特殊で、症状がこちらになります。
『頚部から下の触覚と固有感覚が消失し(求心路遮断)、体性感覚フィードバックが全く得られない』
こういった症状を呈していたのです。
本人の内省としても以下のように言語記述されています。
眼を閉じてしまうと、身体がなくなってしまったように感じる
これらの症状により、最初は全く身体を動かせない状態にありましたが、一方で脳の運動命令(遠心路)自体は残存していたので、意識的に身体を動かすことは可能だったようです。
動画はこちらです👇👇
さて、頚部から下の体性感覚が消失するという症状に見舞われながらも彼はリハビリを始めました。
まず最初は、手を動かすところから始めたそうです。
ただ、手を動かすためには2つ必要条件があり、それは動かす手をジッと見つめなければなりませんでした。
更に見つめるだけではなく、頭の中で一度イメージすることで、なんとか動かすことが出来たそうです。
そこから少しずつ、食事や書字、歩行へと運動の幅を拡大し、出来なくなっていた運動を再学習していきました。
今述べてきたように、彼は身体を動かすと言っても健常の頃のように簡単に動かせるわけではなく、見つめたりイメージしたりといった手続きが必要でした。
そこで以下に、彼が自分の身体を動かしたり、維持したりする場合の必要条件を挙げていこうと思います。
①動かす部位を視野内に留めておかなければならない
必死のリハビリの末、手を動かすことは出来る様になりましたが、それでもやはり一度視野の外に手が外れると動かせなくなるのです。
歩行においても同様で、動画を見ていただくと分かりますが、歩くときは必ず下を向いて足を視野の中に入れておかないといけません。
②意識的な制御が必要
先程も述べたように、彼は動かす部位を見つめておかないといけないことにプラスして、これから動かす部位について常に考え、イメージしなければなりませんでした。
私達が普段無意識で行っているような運動(歩行など)も一回一回意識して行わなければならないのです。
また、それは動かす部位に留まらず、例えば立位で右手を動かす場合であれば、意識を下肢まで及ばしていないといけません。
それは、右手ばかりに意識が向いてしまうと、たちまち倒れてしまうからです。
③重心の位置が掴めない
私達は立位で倒れないようにしようと思ったら、支持基底面の中に重心を留めておく必要がります。
そのためには姿勢が大切ですが、健常であればわずかに身体が傾いたリするだけで身体にある様々なメカノレセプターが反応し体性感覚情報としてその情報を脳に送ります。
その結果、身体のバランスを補正し倒れないよう姿勢を維持することが出来ます。
しかし、彼の場合は体性感覚が遮断されているので、姿勢を維持するためには視覚をつかって、周辺にある真っ直ぐな物(ポールなど)を参照して、それを基準にして自身の姿勢がまっすぐなっているかどうかを判断しているのです。
シュナイダーさんとウォーターマンさんの違い
ここまでウォーターマンさんの症状を見てきましたが、ここで前回の話しで出てきたシュナイダーさんと病態を比較してみようと思います。
なんとなくここまで見ていただいてお分かりかもしれませんが、ウォーターマンさんはシュナイダーさんとは異なるタイプの病態です。
シュナイダーさんは、無意識に行う運動(腕を掻く、鼻に手を持っていく)は可能ですが、一度自分の身体に意識を向けると突如として運動が行えなくなります。
一方、ウォーターマンさんは逆で無意識に運動を遂行することは限りなく不可能に近く、身体運動を行う際には、一度身体に意識を向け、イメージを行ってからではないと運動が行えません。
少し、前回の話しを思い出してほしいのですが、前回冒頭で、『身体図式』と『身体イメージ』の違いについてお話ししましたが、この違いは【意識】にあったというのを覚えているでしょうか?
とすると、ここまで見てきた二人の症例を図式化してみると、以下のように表すことが出来ます。
身体図式 | 身体イメージ | |
シュナイダー | 〇 | ✕ |
ウォーターマン | ✕ | 〇 |
表にあるように二人には身体イメージと身体図式の欠落の仕方が対称的となっています。
そして、これ以外にさらにもう一つ。
この両者には違いがあります。
それは何なのか。次はそれを見ていきましょう。
運動学習の入り口
シュナイダーさんは新しい運動を獲得するのが非常に困難です。
一方で、ウォーターマンさんは手の運動からスタートし、食事や歩行など運動の再学習が図れています。
一方は運動学習が困難で一方は運動学習ができた。
この違いは果たして何なのか。
ここからお話しするのは、『身体図式』と『身体イメージ』が運動学習とどのように関連しているのか、これを少し見ていこうと思います。
運動学習と身体
先程も述べましたが、シュナイダーさんは運動学習が困難です。
その理由は、自分の身体に意識を向けることが出来ないからです。
ヒトは新しい運動を学習するときというのは、少なくとも必ず自分の身体に意識を向ける必要があります。
これは、当然私達にも当てはまることです。
これまでやったことのない新しい運動をする時は一生懸命自分の身体に意識や注意を向け、必死に動かすと思います。
しかし、その時の運動の仕方というのは非常にぎこちなく、まるでロボットのような、そんな動きをしていますよね。
なぜ、こんなことが起きるのか…
少し神経学的な視点からお話しすると…
新規の運動を行う時は、運動指令と共に随伴発射である遠心性コピー情報が頭頂葉や小脳に投射されます。
随伴発射とは…
『Aという運動をするとBという感覚情報が返ってくるだろう』という、いわゆる運動の予測です。
つまり脳は、運動が実際に生じる前にあらかじめ
『この運動を行ったら、こんな感覚が返ってくるだろう』という予測情報も込みで遠心性コピーとして発射しています。
そして、実際にその運動によって生じた感覚情報が、遠心性コピーである予測と比較照合され、そこでもし予測と実際の感覚フィードバックに不一致が生まれた場合には、その誤差情報が運動学習に利用されていくわけです。
そして、この誤差がだんだんとなくなっていき、一致してくるといわゆるぎこちなさが少なくなり、円滑に運動が行えてきます。
言い変えると『コツ』を掴んだ状態がこの状態に当たります。
そのように獲得された運動は、徐々に内部モデルとして脳に保存され、いちいち身体に意識を向けなくても無意識で運動が行えるようになっていきます。
この無意識な状態で円滑な運動が生成されている時に運動のベースになっているのが『身体図式』だと解釈することが出来ます。
つまり、ここから何が言いたいかと言うと
運動学習の初期は必ず身体に意識を向ける必要がある。言い変えると『身体イメージ』が行えなければ運動学習が出来ない。
というわけです。
今回シュナイダーさんやウォーターマンさんの話しをしていただいた、東海大の田中先生が論文や講演の中で言及されていたのも
身体イメージは運動学習の入り口になる
ということでした。
身体図式と運動学習については…
運動学習というのは、すでにある、いま現在の身体図式を更新していくプロセスであるとされています。
メルロ・ポンティは
「コツ」をつかむことと言うのは『身体図式の組み換えであり更新である』(田中.2013)
と述べています。
また
意図的なコントロールのみで獲得できる動作は、既存の身体図式に備わる運動レパートリーで対処できるものであり、“学習に伴うべき新規性を欠いている”(田中.2013)
と述べられています。
解釈すると、『身体図式は運動学習によって更新されるものであり、意図してコントロールできる運動というのは、それは運動学習と呼べるほどの新規性を備えていない。』ということになります。
つまり、『身体イメージ』×『身体図式』×『運動学習』についてまとめると…
運動学習により「コツ」をつかむことによって身体図式は随時再編、更新される。
で、そのコツをつかむプロセス(運動学習の特に初期)には『身体イメージ』が不可欠である。
と、解釈することが出来ます。
私の疑問と解釈
さて、ここまで身体図式や身体イメージ、運動学習について書いてきましたが、書きながら僕が疑問に思った点がありました。
それが…
ウォーターマンさんは運動学習を図る時に、遠心性コピー(運動予測)と何を比較していたのか
というところに疑問が残りました。
というのは、ウォーターマンさんは体性感覚機能が消失しているので、運動を行ったところで実際の体性感覚情報を予測と照合することが出来ません。
では一体何と比較していたのか。
その一つの仮説が『視覚』ではないかと僕は解釈しました。
その根拠は、
・『見ていないと動かせない』
・『重心補正を行う際に、視覚で捉えたものを参照枠にしている』
と、このようなファクト情報があったからです。
つまり、身体イメージを体性感覚情報でつくりあげたのではなく、『視覚的な身体イメージ』をフィードバック情報として利用していたのではないかと解釈しました。
神経学的にいえば、遠心性コピーと実際の感覚フィードバックは体性感覚ではなく視覚情報との比較照合作業で誤差を検出していたのではないかと考えられます。
そのため運動を行う際には、フィードバック情報としてマストである、視覚を外すことが出来ない(見なないと運動できない)のではないか。
と考えました。
この解釈は、あくまで僕個人の解釈なので、もしの意見などあれば是非教えて頂ければ嬉しいです。
さて、では以上で2回に渡る『身体図式』×『身体イメージ』についてのお話しを終えようと思います。
最後までご覧頂きありがとうございました!