『学ぶ』ことの限界点と『考える』ことの重要性

さて今回は、『学ぶことの限界点』と『考えることの必要性』をお話ししていこうと思います。

僕の中で『学ぶ』と『考える』というのは、もうまるっきり異なるものであるという認識をしていて、今回はこの点について解説していきます。

目次

『学ぶ』ことの限界点と『考える』ことの重要性

『学ぶ』と『考える』の違い

『学ぶ』というのは、基本的に未知の知識をインプットすることです。

具体例を出すと、論文や教科書を読んだり、勉強会への参加といったものが挙げられます。

一方『考える』というのは、それらで学び得た知識を色んな側面から組み合わせて発想を創造することです。

パズルに例えるなら、学ぶというのは『ピースそのもの』で、組み立てていく過程が『考える』ことであると言えます。

では臨床において、この2つはどちらが大切なのか。

結論からいうと、両方とも非常に大切です。

まず臨床において、病態解釈や治療方針の意思決定を行っていく上で、『知識』というのは絶対に必要です。

対象者が呈している症状のメカニズムが理解できていなければ、そもそもどのように太刀打ちすればよいかが見えてこないからです。

このように、最低限の知識のインプットをするためには、何が必要かというと『学ぶ力』です。

次に、その情報を元に臨床思考を膨らませ、病態解釈を行ったり治療方針の意思決定をしたりしますが、その時に必要になってくるのが『考える力』となります。

つまり、『学ぶ力』と『考える力』は両輪であるため、臨床スキルをアップさせようと思えばどちらか片方が欠けてもダメなのです。

ただ、順番で言うなら『考える』前には必ず『学ぶ』という過程を踏まなければならないため、この『学ぶ力』というのが、必要なのは間違いありません。

しかし、今回あえて『学ぶことの限界点』と打ち出しているのには理由があるので、次はそれについて説明していきたいと思います。

『学ぶ』に偏り過ぎている現代

先程、臨床スキルを上げるためには、『学ぶ力』と『考える力』の両輪が必要だと述べました。

しかし、現在のリハビリテーションの在り方を見てみると、この両輪が崩れ『学ぶ』に偏っていると感じています。

なぜなら、現在リハビリテーション界には多くの手技手法が存在していたり、SNS等によって様々な治療法が提唱されており、いわゆる『この場面にはこの治療』『この疾患(症状)にはこの方法』といったように、治療を意思決定する際のテンプレートのようなものが増えてきているからです。

これらというのは基本的に、『学ぶ』能力です。

ある有名な先生が現在のリハビリテーションについて、『ベルトコンベアー式だ』と比喩していましたが、これも学ぶことに偏り過ぎた結果ではないかと思うのです。

つまり、患者様が来たら「とりあえずあの評価とって、あの治療して、この時期になったら退院支援して…」といった具合にその病院の文化や先輩の行っていることを学んだ結果、ルーティーンのようにリハビリテーションを提供してしまってはいないでしょうか。

同様に、様々な手技手法の考え方や型を学び、それを対象者に当てはめることも同じことが言えます。

このように、『学ぶ』ことにあまりにも偏り過ぎると、考えなくてよくなるからすごく楽な一方で、弊害もあります。

それは、皆さんにも経験があるかもしれませんが、個別性に対応出来ないことです。

AさんとBさんが同じような症状を呈していても、その奥に潜んでいる病態は両者で異なります。

結果、この二人に同じ治療を意思決定したとしても改善が見込めるとは限りません。

では、どうするか。

そこで登場するのが、『考える力』です。これまで学んできた知識を様々な方向からみて考えることによって、その人に合った方法を創造する力が必要なのです。

現在、あまりにも『学ぶ』ことに主眼を置いてしまった結果、リハビリテーションの教育から『考える』という過程を省略してしまっており、これは大きな課題の一つではないかと感じています。

『考える』に答えはない

世の中が、『学ぶ』に偏り過ぎているという事もありますが、同時にセラピスト自身が『考える』ということに対する苦手意識もあるのではないかと思います。

恐らく多くの人が『学ぶ』に比べて『考える』方が苦手だと感じる人が多いのではないでしょうか?

恐らく、その理由の一つは『考える』ということに答えがないからです。

私達は、これまでの教育で定期テストや国家試験を通して答えのあるものに対して取り組んできました。

学ぶ中には、その答えとなるものを学校の先生やセミナーの講師が教えてくれたり、論文や教科書の中に書かれています。

しかし、『考える』作業において、その答えは用意されておらず、自分自身で創発しなければなりません。

もし、今後自分自身の臨床スキルを高めたいのなら、論文を読んだり、セミナーに通うだけでなく、それらから得た情報を組み合わせ、個別性に富んだリハビリテーションを考える力を養っていかなければならないと思います。

それは、先程も言ったように『学ぶ』と『考える』は両輪だからです。

『学ぶ』のは得意だが『考える』のが苦手な人の特徴

 

実際の臨床が大したことない

この理由ですが、実際の臨床では教科書や論文通りの結果というのは中々起きてはくれません。

そうすると、『学ぶ』のが得意な人は、学んだ内容と異なる現象が生じると、そこから考えることが出来ず、思考がフリーズしてしまうのです。

また、『学ぶ』のが得意である人が最も生き生きとする場面が、症例発表でしょう。

自分が持っている知識をふんだんにアウトプットしたいために、いわゆる理論武装に近い発言をする事が多いです。

ただ、逆にそれは臨床を置きざりにして行く可能性も高く、机上の空論だけが先行しやすくなるという特徴もあります。

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『学ぶ』と『考える』の違いまとめ

以上が、『学ぶ』ことの限界点と『考える』ことの重要性についてです。

SNSの普及によって、様々な知識が簡単に手に入る時代となり、いま多くのセラピストが『学ぶ』ことが容易にできるようになっています。

そんな時代に、いかに『考える』力を磨くか。

今後の臨床スキルを研鑽していく意味でも、自分自身のキャリアを築いていくためにも、『考える』ということに挑戦してみてはいかがでしょうか?

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