日本の手技の覇権争いは一体いつまで続くのだろう
さて現在日本には手技や、~療法といったものが沢山あります。
それに伴って、そういったセミナーも開催されているところが多いです。
もちろん各種それぞれの手技や理論体系が間違っているといいたいわけではないのです。
ただ・・・
あまりにもこれらの手技が独り歩きしていて、全ての病態に対して一つの理論体系で片付けようとする傾向が強すぎるのではないかと僕は感じています。
病院や施設によっては、「~療法を行って治療します」
と掲げているところだってあります。
これが果たして良いか悪いかは別として、患者様の視点になったら少し考えなければならないのかなと思う部分があります。
日本では患者さんが病院を選べない!
というのは、日本は患者さんが病院を選べるわけではないからです。
海外の施設や病院では、患者さんが自分が受けたい治療(病院)を選択する文化です。
そのため、患者さんにとってみても、治療を受ける前からある程度どういった治療があるのかもわかりますし、それに対するモチベーションも持っています。
一方、日本ではこういった、患者さんが病院を選ぶなんてシステムはなく、入った場所によって治療方法はその病院次第ということになり、そうなると患者様の病態が何であろうと一つの治療方法を提供される形となるのです。
その結果、「~療法」で全ての患者様が改善するのであれば特に言うことはないのですが、問題なのはその「~療法」で改善しなかった場合をどう考えるのか。ということだと思うんです。
「改善しないね。しょうがないね」
では病院側にしてみれば発展のうちの過程の一つかもしれませんが、患者さんにしてみたら
「私の人生どうしてくれるんですか?」
という風にならないでしょうか?
また勉強会や論文等を見ると、当たり前ですが「~療法」で改善がみられた症例を提示します。
だから、一見するとすごく面白くて素晴らしいと思えるかもしれませんが、重要なのは、それで改善しなかった。つまり
溢れた人をどうするかを考えなければならないのではないでしょうか。
良いところばかり見ていて果たして進歩はあるのでしょうか?
引き出しを持つ≠多くの手技を身につける
手技を自分の武器として利用するのは大いに素晴らしいことであるとは思いますが、現在リハビリ業界を見ていると、それらに溺れ、本来やらなければならない評価や仮説の立案、検証作業といったところをぶっとばして方法論のみに執着しているような気がしています。
脳血管の患者さんには〇〇療法
変形性膝関節症にも〇〇療法
といった形になってはいないでしょうか?
特に新人の頃から病院縛りで一つの理論や方法論を教え込まれると、視点がかなり狭くなっちゃうと思うんです。
例えば、仮説立案にしても、手技体系の理論に基づく部分しか評価しないので、見えない部分が多すぎることになるのではとすごく懸念しています。
そういった教育を新人の頃から教え込まれると、今度はその新人が何年か経ち、後輩指導をすると、本来の思考プロセスの過程をかなりはしょって答えのみを教えようとします。
例えば、一見問題は膝にあるけど、巡り巡って本当の問題点はここ(自分の得意なところ)
だからもっと、ここを鍛えなければ・・・
といったような形です。
私達が患者さんをきちんと診ていくためには、一度自分がやっている手技や、~療法のバイアスを取り除かないと、本当の意味で患者さんの問題点というのは見えてこないのではないかと僕は思います。
そうなると、「なら沢山手技や~療法を覚えよう!」とよくいう人がいるのですが、そういうことではなくて
問題は「方法論を見つける」ということではなくて、その考察に至るまでのプロセスにどれだけの基本的な学問や研究から得られた知識があるかだと思うんです。
本来はこうした理論的背景の結果方法論として~療法を選択する。
といった形になるのだと思います。
例えば、戦闘物のゲームをするとして至近距離に相手がいるのに弓矢を使ったりしないですよね?
逆に、相手がめちゃめちゃ遠くにいるのにも関わらず、そこでナイフを振り回したりしないですよね?
要は、沢山の手技を手あたり次第覚えるのもこれと同じで、いくら武器は沢山持っていたとしてもその用途をきちんと理解していなければ、使い物にならないということです。
一辺倒の理論しかもっていなければ、結論も一辺倒になるのは当たり前な話で、それが何個に増えたとしても、結局浅くその手技体系に結びつけられた一本のヒモのような知識しかありません。
手技系統の理論に飲み込まれない事
手技系統のセミナーに行くと、最初は必ず、解剖・生理・運動・神経学など様々な基礎理論の話があると思いますが、もちろんその中には素晴らしい研究や理論が存在するのも事実です。
でも実は、その手技の理論を否定するような研究結果とかも外を見渡せば当たり前のようにあるんです。
でも、手技系統の理論しか知らないと良いところしか見えないので
「これやっとけば絶対うまくいくやん!」
といった心理になるわけです。
だからこそ、そういったいいところばかりに目を向けるんじゃなくて、それを否定している論文や研究を見ていくことによって、自分の考えも広がっていくのではないでしょうか。
終わりに
もし、今一つの手技・~療法で患者さんが回復しているのであればとっくにみんながそれをやっています。
でも現状はそうじゃありません。
だからこそ、バイアスを持った目を捨てて、きちんと評価して、その結果何の方法だったらこの患者さんの病態にはマッチするのか。
この自由意志に基づいた選択こそが、よくいわれる
「引き出しを多く持つ」
ということではないでしょうか。
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