運動の意図と感覚情報(視覚と体性感覚)にズレが生じると痛みや異常知覚を惹起するという現象は、主に慢性疼痛患者様などによく見られるメカニズムの一つだったりします。
ちなみに、こうした運動と感覚情報のズレが生じることを『sensory-motor conflict』といったりします。
ただ、こうしたsensory-motor conflictによる痛みや異常知覚の惹起って何も慢性疼痛の人だけではなくて健常者の人でも容易に現れるとされています。
事実、2005年にC. S. McCabeが健常者を対象に鏡を使ってsensory-motor conflictを故意的に発生させたところ、41名の被験者のうち、27名(66%)が以下のような異常知覚を惹起しました。
動かしている手足にヒリヒリする感覚がある
動かしている腕に痛みを感じた
両足にピンッと針が刺さったような感じがした
このように、私たち人は運動意図と実際の感覚にズレが生じたり整合性がとれないと痛みだったり、異常な感覚を体験することがあるというのが一つ事実としてあります。
今回は、もう一つこのsensory-motor conflictによって生じる痛みや異常知覚を再現した研究をご紹介していきたいと思います。
痛みの原因について勉強するとき、「末梢組織に侵害刺激が加わってそれを起点に痛みが発生する」という、いわゆる侵害受容性疼痛のメカニズムを聞くことは沢山あってもsensory-motor conflictのように「脳の中で起きている痛み」については触れる機会があまり多くないと思います。
今回はこうしたおそらく養成校では習うことが少ない「痛みの原因」について触れていきますので、ぜひ最後までご覧頂き、もう一つの痛みの側面について知って頂けると嬉しいです。
【脳の中でつくられる痛み】運動によって生じた体性感覚情報と視覚情報間にズレが生じるsensory-motor conflictという現象
1.はじめに
sensory-motor conflictの実際を検証していくにあたって、参考にさせて頂いた論文はこちらです。
この研究は、健常者を対象に運動と感覚情報を故意的にずらし、その時の運動障害と感覚障害の程度を観察しています。
2.研究の方法
研究方法がまーーちょっと複雑なので、ここではざっくりと解説しますね。もし詳しく知りたい場合は原著の方をご覧ください。
2-1 参加者の条件
30人の健常な人(26人が右利き、15人が女性、平均年齢27.7±5.9歳)が対象となっており、彼(彼女)らは視覚、神経系、筋骨格疾患の既往歴がないことが確認されています。
2-2 研究デザイン
前提として、この研究は『視覚情報』と『体性感覚情報』を組み合わせた状況で上肢運動を行い、その際の感覚障害と運動障害の程度を調べるものになります。
視覚情報と体性感覚情報をあえてずらす方法として『バーチャルリアリティ』が採用されています。
- ステップ1
参加者は赤いターゲットを交互に狙い、両腕を使って左右非対称な運動を行う。この段階では、VR上における上肢は実際の上肢の動きと一致している。 - ステップ2
以下に示す4つの視覚条件のうち1つが適用される。参加者は同じように運動を行うが、視覚フィードバックが変化する状況になる。
※青い線は、実際の上肢の位置を示す。
参加者は、VRを使った上肢の運動課題を以下の視覚フィードバックがある条件で行いました。
- Congruent VF:VRの上肢が実際の上肢の動きにに一致
- No VF: 視覚フィードバックなし(黒い画面)
- Flipped VF: 左の仮想上肢が右の上肢の動きを再現し、右の仮想上肢が左の上肢の動きを再現
- Mirror VF: 両方の仮想上肢が非支配手の上肢の動きを再現
この4つの条件で押さえておきたいこと。
それは、『①Congruent VF』は視覚と体性感覚が一致している条件であり、それ以外の3つは視覚と体性感覚に不一致、つまりズレが生じている条件になるということです。
ここが今回の記事のキモなのでよく覚えておいてくださいね。このあと解説する結果の部分で超重要なので。
次は、参加者の「感覚状態の設定」です。
感覚状態の設定?
これは、どういうことかというと一言で言うなら、「普通じゃない身体状況を故意的につくりだす」ということです。
例えば、以下に示していますが上記課題を行なっている最中に参加者は『痛み刺激』を与えられたりしています。
これは、つまるところ「急性疼痛」をある種再現する状況をつくっていて、要は痛みが全くない人と固有感覚障害がある人(振動刺激)、もしくは痛みがある人では、「視覚と体性感覚情報にズレが生じた時、感じる知覚体験にも違いがあるんだろうか?」というのを見ているわけですね。
課題中に与えられた感覚
- No stimulation:体性感覚刺激なし
- Tactile Distraction:第5中手骨へ振動刺激(40Hz)
- Proprioceptive Masking:上腕二頭筋と上腕三頭筋へ振動刺激(40Hz)
- Experimental Pain:痛み刺激(カプサイシンクリームを肘関節付近へ塗布)
3.結果
それじゃ、以上の研究方法を踏まえた上で結果を見ていきたいと思います。
3-1 急性疼痛において感覚情報に不一致が起きると異常知覚が生まれやすい
まず一つ目。それは、『異常知覚体験の発生割合』についてです。
以下の表は、4つの視覚条件と感覚状態を組み合わせて作成されたグラフです。
見ると、黒い棒が4つの視覚条件全てでそのほかの棒よりも高いことがわかります。
えーっと…黒い棒はなんだっけ?
A.『痛み刺激を加えられている条件』
縦グラフは「参加者の状態」を示していて、ここでいう黒い棒は痛み刺激を与えられている条件でした。
そして、この黒棒は『Flipped VF』、『mirror VF 』、『No VF』条件で一段と上がっているのが分かるかと思います。
この3つの条件、なんだったか覚えてますか?
はい、思い出す時間。(上を見直してもええで)
思い出しましたか?
はい、この3つが示すもの。それは「視覚情報と体性感覚情報にズレが生じている条件」です。
それじゃ、これに黒棒(痛み刺激条件)の結果を組み合わせると何が示唆できるか…
それは、「急性疼痛モデルにおいて視覚情報と体性感覚情報にズレが生じると異常知覚を惹起しやすい可能性がある」ということですね。
定量的な数値を加えたものを表にするとこんな感じ。
視覚条件 | Congruent VF | Flipped VF | mirror VF | No VF |
---|---|---|---|---|
Experimental Pain | 3±5% | 15±14% | 15±16% | 9±13% |
見ると、Flipped VFとmirror VFの数字がその他に比べて一段と高いことが分かるかと思います。
逆に視覚と体性感覚情報が一致している条件(Congruent VF)においては最も数字が低くなっています。
つまり、「視覚と体性感覚情報が同期していれば不快な知覚体験は惹起しにくい」ということですね。
Flipped VFとmirror VFは、自分の実際の上肢の動きとVR上で見た上肢の動きに明らかに乖離があり、これが視覚と体性感覚情報の不一致を生み出すわけですね。
VR上に上肢が見えない『No VF』条件は「自分自身は一生懸命腕を動かしているのに、それを視覚で捉えられない」という状況です。
これは、感覚情報に不一致はあるものの上記2つのように明らかに感覚情報に歪みがあるわけではないため、その分異常な知覚体験の発生割合が少なくなっているのだと考えられます。
3-2 異常知覚体験の種類
それではここから、「異常知覚とは言うけれど具体的にどんな感覚を惹起したの?」という疑問に答えていきます。
Congruent VF以外の3条件で参加者が口にした知覚体験は以下です。
腕のコントロールができない…
→運動主体感の喪失に近い感覚
手がなくなってしまった感じがする…
痛みが強くなっている感じがする
すごく不快で嫌な感じがする
また、特筆すべき点として…
Experimental Pain条件(急性疼痛モデル)のVFなし条件では、5名の参加者が「幻の手がある」ような余分な手の知覚を報告した。
Sensory Disturbances, but Not Motor Disturbances, Induced by Sensorimotor Conflicts Are Increased in the Presence of Acute Pain.Brun C,2017より引用
以上、視覚と体性感覚情報に不一致が生じた場合このような知覚体験をした人が多かったようです。
こうやって考えると、やはり臨床場面において単なる侵害刺激のみが痛みや異常感覚を司っているわけではないことがよく分かるかと思います。
4.sensory-motor conflictが生じると痛みや不快感が強くなるワケ
通常「痛み」というのは、私たちの身体を守るための警告信号として働く役割があります。
ところが運動と感覚情報間、異なる種類の感覚情報間(視覚-体性感覚など)に不一致が生じると、脳はその不一致を異常な状況として捉えることがあり、この異常な状況を身体に伝えるために「痛み」や「不快感」として表出していると考えています。
5.脳の中でつくられる痛みの話しまとめ
さて、以上が脳の中で作られる痛みのメカニズムの一つである『sensory-motor conflict』でした。
これは必ずしも患部に何か問題があるから生じるといったものではありません。
少し難しい内容だったかもしれませんが繰り返しご覧いただき、日々の臨床に活かして頂けると幸いです。
それでは、皆さんの日々の臨床がもっと前に進むように。
今日もいい仕事しましょう。
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