本日は、「事実ベースの話しをしているのに感情論が混じっちゃうと全然話しが進まないので気をつけようね」という話をします。
この問題はリハビリテーション業界における療法士界隈はもちろん、病院内などで他職種を巻き込んで行われるカンファレンスの中とかでも起こりがちな問題なので、何かしら議論を行う際には気をつけたほうがいい部分になるかと思います。
なお、このテーマについて話しをするにあたっては、具体例を出さないと伝わりにくいので、今回は僕きんたろーの(理学療法士)新人時代の頃の話しをネタに解説していきたいと思います。
【日頃の発言は大丈夫?】事実と感情論は分けないと議論にならないという話し
尖りまくってた新人時代
いきなりですが、僕は理学療法士1年目〜2年目くらいまで、いわゆる『アンチボバース』というポジションを取っておりまして…
ただこれは、コンセプトや理論が嫌いとかそういう理由ではありません。どちらかと言えば所属組織に対する反骨心に近いです。
というのが、(入職して知ったのだが)僕が新卒で就職した病院のリハビリテーション部は、当時脳卒中リハにおいては「ボバースコンセプトをメインの方法としてやっていきましょう!」みたいな文化があったんですね。
その結果、症例検討会や症例発表会を行ったらセラピスト全員同じような解釈になるし、リハビリテーション場面においては数人で患者さんを人形のようにこねくり回し、「あ!少し安定性出てきましたね!」と大喜びする傍で当の患者さんはキョトンとしてる、みたいな。
こういう、宗教感満載な感じがどうしても当時は好きになれませんでした。
そのため、当時僕が臨床現場で考えていたことは、「ボバースコンセプトを軸におくのはOK。ただ、良くなっていない現状があるのも事実だからそこはちゃんと向き合おうよ。」ということでした。
ただ、その病院のリハスタッフの数は100人をゆうに超えていたので、まだぴよぴよ理学療法士である僕なんかが「それ良くなってないっすよ」と言っても、まぁ通用しないわけです。
そこで、その現状に対して僕が当時とった手段としては『知見の力を借りる』でした。
要は、世界中にボバースのエビデンスに関して述べられた論文は結構あるので、それらを片っぱしから読み漁り 「皆さんのやってる方法ってこんな結果出てますよー!」 みたいなのをセラピストが沢山集まる症例検討会かチームのカンファレンスだったかで、ジャブを打つかのようにちょいちょいねじ込んでいったんですね。
その時、利用したデータ(根拠)は、当時ボバースの効果について書かれた論文と、あとは実際の患者様のデータですね。
それらを自分なりにまとめて提示していきました。
いま思えば、自分は一体何と闘ってたんだろうと。
自分はエビデンスの話しをしているのだが…
で、今回お伝えしたい本題はここからです。
当時、データや論文をまとめた情報、つまり僕なりに”事実”を伝えたつもりでした。
ところが、それに対して返ってきた返答がというのは…
きんたろー君の言いたいことはわかるよ。ただ、否定する前にとりあえず今度◯◯で開催予定の勉強会行ってみて。△△先生は本当にすごいから。本当に患者さん変わるんだよ!
ということでした。
この返答の摩訶不思議さに、一瞬ポカンとしたことを今でもよく覚えています。 なぜ、ポカンとしたのか。 それは、世界中の研究然り、エビデンスという枠組みにおいて「△△さんがやったら良くなる」なんてことはありえないからです。
エビデンスは、誰がやっても大方良い成果が得られるという前提で成り立つものですが、「ある特定のセラピストが」という話しになると、それはもう科学からかけ離れていっちゃうなと。
逆にいうと、もし△△先生が行った結果をエビデンスの土俵に上げたいならば、一旦相当な数『△△先生がリハビリを行なった群』と『一般的なリハビリ群』をランダムに割り付けて試験し、その結果を見ていくといった手続きが必要です。
事実と感情論が混じると意思決定が遅れる
ここまでお伝えしてきた内容はあくまで一例ですが、こういうシチュエーションって案外よく起こりがちであると僕は考えています。何かを意思決定する上においては特にです。
例えば、Aプラン、Bプラン、Cプランという3つのオプションがあったとして、その中で上手くいく確率が最も高いのはAプランであるにも関わらず、トップであるリーダーはCプランを“やりたい”と思い反論していると、意思決定までにかなりの時間がかかります。
なぜならば、意思決定のスイッチはリーダーがグリップしているからです。
もちろん、時には『やるべきこと』よりも『やりたいこと』を優先させていく必要もあります。 だからこそ、何かを決めていく会議をを行う際に大切なのは、その案件は『これは感情論を混ぜて決めても大丈夫なのか?』という問いではないかと考えています。
意思決定する会議に感情論を混ぜたらまずいもの
意思決定を行っていく際には、感情論を混ぜていいものと悪いものがあります。
感情論を混ぜたら、まずいものを一言で言うと「それをやっちゃうと全てが無に帰すこと」です。これを『ノックアウトファクター』と言ったりします。
例えば、航空会社のノックアウトファクターは『整備不良を起こさないこと』です。(航空会社の場合、墜落事故を一度でも起こすと社会的信用が地に落ちるから=倒産)
そのためには、部品や整備には『良いモノ』や『効果が実証されている部品』を使わなければなりません。(つまり、やりたいことよりもやらなければならないものが優先されなくちゃいけない)
一方で、その際に「この部品おしゃれだからこれがいい!」とか「この部品使ってみたいんだよねー!」とか個人の好みや感情で部品が決められていたらどうでしょうか。
当然、そんなことをすれば墜落のリスクははね上がり、致命的なノックアウトファクターになりかねません。
よって、(ちょっと規模感の大きい話しですが)こういう意思決定を行う際は、きちんと事実ベースの話し&意思決定が大切になります。
意思決定する会議に感情論を混ぜてもいいもの
これは、一言で言うと『エンタメ』です。
なぜならば、エンタメがヒットする大きな要素は『人が持つ感情の波』だからです。
人の感情には、事実ベースの正解というのがあまりありません。
だから、いかにAというプランが一般的に正攻法と言われていようが、「Cプラン方が非合理的だけど喜んでくれるかもしれない!」と思えば、それで進めていくということはよくあります。
そのため、こういうエンタメの要素を含んだ意思決定を行う場合は、事実ベースに加え多少なり個人の感情的な見解や好みが入ったほうが良いです。
リハビリテーションサービスは感情論を優先するべきか
ここまで説明した上で、「では、私たちが日々提供しているリハビリテーションサービスにおいては、どうだろうか?」ということを考えていきます。
私たちが提供しているリハビリテーションという医療サービスは、果たして事実(エビデンス)を優先させるべきでしょうか?それとも感情論を優先させるべきでしょうか?
僕は日頃から、Instagramなどを通して「自分のたりたいリハビリではなく、患者様に必要なリハビリを提供する必要がある。」としつこく訴えています。
この言葉を事実と感情の話しに置き換えると、事実(患者様に必要なリハビリ)を優先させるか感情(自分のやりたいこと)を優先させるか。ということになり、それを踏まえるとやはり事実ベースの議論を行なっているときは、感情論は土俵に上げない方が好ましいと思っています。
抑えておきたいのは、ここでいう『感情』というのは患者様の感情のことを言っているわけではありません。
「セラピストの感情論が先行しちゃダメだよね」という話しです。
まとめ
本日は、「事実と感情は分けて考えないと議論にならない&本来やるべきことを見失うかも」ということをお伝えしました。
「この議論は事実ベースの話しが大事なのか?はたまた感情論を含んでもよいものなのか?」
ぜひ、皆さんが参加する会議中に議論が平行線になっているときはこの問いを思い出してみてください。 何かの突破口になるかもしれません。
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