リハビリテーションにおける理学療法士や作業療法士の人たちのSNSや会話なんかを聞いていると
他の治療技術や他者の行いを凄く批判している
と感じます。
特に最近は、本当にリハビリテーション全体に対してこれを強く感じます。
さらに、この批判的な意見が最も顕著になる場面。
それは「症例発表会」です。
発表者に対しての聴衆からの質問や意見が、なんとも生産性がなく、評価や治療、考察などに対して挙げ足を取るかのような批判的なものが大変多いです。
これだと発表者は凄く発表しづらいし、症例発表が嫌になってしまいますよね。
このように、リハビリテーション全体の中で今は
「これから変えていこう!!」
というよりも、どちらかというと
「おい何やってんだよ」
といったように常に誰かを批判して回るようなそんな風潮が強いと感じています。
批判ばかりしていても生産性がないのは目に見えていて、僕らがこのリハビリテーション全体の中の歯車の1つとして成長していくために、または個人が人として成長していくためには一体何が大切なのでしょうか。
今日は、そういった「成長」という部分にフォーカスを当てて、僕個人における成長とは一体何なのかを書いていきたいと思います。
僕は、理学療法士という仕事を通して、知識や専門職としてのスキルを向上させることだけではなくて、「人として成長したい」というのが根底にあります。
というのも、僕はまだまだすごく人として未熟で、足りないところが沢山あります。
未熟な基準はあくまで僕の中の基準ではあって、中には悲観的過ぎるだろと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それでもやはり僕の中では未熟なのです。
具体的には、人の意見を心から聞いてあげることが出来なかったり、簡単な方に逃げてしまったり、体調やその時の精神状態により他者に対しての対応が変化したり、誠心誠意患者様と向き合えない時が合ったりなど、書いていけば本当に沢山あります。
冒頭で書きました、批判的な意見が多いというのも正直僕自身にも当てはまる事実です。
ですので、こういった部分を変えていきたい。
成長していきたい。
というのを、僕は理学療法士として生きていく中で培っていきたいです。
では、どうなれば成長したと言えるのか。
これはあくまで、僕の中でのことですが
僕は自分が成長できたと言える証拠として常に考えていることがありあります。
それは
「自分が死んだときにどれくらいの人たちが自分の葬儀に来てくれるか」
です。
というのは、僕は成長するということはそれは自分の周囲の人にも良い影響を与えられると思っています。
もし自分が成長することで周囲の人たちに良い影響が与えられて、なおかつその人の人生観の1つの参考にして貰えることがあるのなら、それって素晴らしいことじゃないかと思うんです。
ですから僕はたった一度しかない人生の中で、せっかくなら少しでも多くの人に良い影響を与えたいです。
死んでしまったときに、今まで溜めた貯金や名声なんてものはあの世に持っていけませんが、その人の生き様だったり、考え方というのはずっとこれから生きていく人たちに引き継がれていきます。
人生は何を成し遂げるかということよりも、何を残していけるのか。
というのを僕は大切にしています。
そのためには、やはり自分の成長が必要不可欠です。
そう考えると、理学療法士として生きるこの毎日がその過程であると強く思います。
今は患者様を回復させてあげられる能力がないからって、ただ単位をこなすのではなくて、その患者様との20分間の間に、何かその方の生きる希望だったり、モチベーションを提供できるきっかけになればそれは素晴らしいことだと思います。
今の自分のポテンシャルで出来る100%を常に提供し続けられること。
これが、理学療法士として生きる自分の一つの目標です。
相手を批判ばかりしていてもそこに成長は生まれません。
誰かを蹴落として、自分の意見や知識を振りかざす傾向が強いこのリハビリテーション全体の中で、どれだけ自分を見失わずに患者様資本で考える事が出来るのか。
常にこれを頭に入れながら、今のこの現状に対して憂いるばかりではなく、何か生産性を持って成長出来ていければ良いのではないかと思うのです。
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