昨日、一昨日の二日間で開催されました『認知神経リハビリテーションベーシックコース』(以下:認知神経リハ)
が無事終了いたしました。
今年も多くの方が参加されており、様々なディスカッションを通して大変濃い二日間となりました。
一応僕は認知神経リハ学会に入っているのですが、これまでこのブログの中ではあまり触れてきませんでした。
そこで今日は、ベーシックコースも終わったので一つの機会として少しこのことを書いていこうと思います。
認知神経リハビリテーション
認知神経リハビリテーションの理論や考え方についてはそれだけでだいぶ長くなっちゃいますので今回は割愛します。
認知神経リハとの出会い
思えば僕が初めて認知神経リハに出会ったのは養成校時代の2年生の時でした。
知ったきっかけは非常に単純で
「神経科学が好きだから」
といったような理由でした。(笑)
神経科学を勉強しているとたまたま、ルリアやらアノーキンが出てきて
「お。なんだこれは」と思ったのがきっかけです。
それから、日々認知に関する論文を読み漁ったのですが、やはりその頃はまだ認知を行っていく上での手続きや考え方、哲学などはまだまだ理解に程遠く、なんとなく「こんな感じかな?」
といったような理解でした。
それから3年生になり実習が始まったのですが実習地に認知を取り入れている病院はなく、その間は認知の考え方からはしばらく離れていて、とにかくその病院とその時のバイザーの考え方に合わせる様に日々取り組んでいました。
しかし、評価実習が終わり長期実習一回目をきっかけに、今の僕の理学療法の軸とななり、そして転機となった「疼痛」との出会いがありました。
「痛み」という魔物
長期Ⅰで担当させていただいた患者様は椎間板ヘルニアでそれはそれはとてつもない痛みを抱え、時には車椅子で来院されることもありました。
あまりにも痛みがひどいときにはブロック注射を打ったりしていましたが、それでも全く痛みの程度は変化せずといった状態でした。
僕自身学生ながらではありあますが「どうにかしたい」という思いは一応もっており、先生方のやっていることを見様見真似で筋肉を触ったり、物理療法を行ったりと何とか当時自分に出来る精一杯のことをやっていました。
しかし一向に痛みは引いていかないのです。
そして何もできないまま、実習も最終日になり最後その患者様から
「一生懸命頑張ってくれてありがとうね。」
と本当に素敵な笑顔でそう言ってくださいました。
この言葉をいただいた時に、どうしようもないくらいの自分に対する不甲斐なさを心の底から感じました。
なぜ、今でもなおどうしようもない痛みと戦っている患者様にこんなことを言ってもらってるんだろう・・・
本当は、「この痛みどうにかしてよ」と言いたいはずなのに・・・
勿論それはきっと僕が実習生だったということもあり、かけていただいた言葉なのかもしれません。
しかし、僕がこの原因不明の痛みと向き合うのは期間が決まっていて、実習が終了してしまえば言ったら開放されます。
しかしこの患者様はこれからもずっとこの痛みと対峙しなければなりません。
そういったことを考えると、患者様から感謝の言葉をいただいていることがなんとも申し訳なく思ったのです。
そんな壁に直面した時にふと
「痛みって何なんだよ・・・・」
と頭に浮かんできたんです。
痛みの理解と認知との再会
そして、その時に今の自分にできる事とは一体何かを考えました。
もうあの患者様の治療介入を行うことはできないけれど、今の自分に出来ることは何もできなかったあの時の自分を糧にして一歩でも前に進むことではないか?
そう思ったのです。
それからというもの、学校生活の中で片っ端から「疼痛」に関する論文・教科書を読み漁りました。
すると、だんだんと痛みのメカニズムが分かる様になってきて、その時までは痛みは効果器(筋・関節・結合組織・内臓etc…)で生じるものだと思っていたのですが、実際はそうではなく「情動的側面」や「認知的側面」が大きく関わっていることを知りました。
そしてある程度痛みのメカニズムをなんとなく理解したうえで、一つの疑問が浮かびました。
「痛みの情動とか認知とか、メカニズムは分かったけど、脳の中の出来事だし見えないやん・・・
どうやって方法論に落とし込もうか・・・」
といったような思いから次に行ったことは、脳科学の臨床方法への落とし込み方を探しました。
そしてここでもう一度「認知神経リハビリテーション」に出会うことになったのです。
というのも、この時は認知の方法論が素晴らしいというよりも、神経科学を最も臨床に落とし込んでいるのはこれだ。と率直に感じたからです。
それ以降、実習が3年生ですべて終わりましたので残りの一年間は国家試験勉強と並行しながら「疼痛学」そして「認知神経リハ」の勉強をひたすら行っていきました。
そして、一年間の間認知を勉強して方法論は見たことがなかったため具体的なものは分かりませんでしたが、理論などはある程度理解できたためPTになった昨年一年間、まずは認知神経リハの研修に参加しました。
そして同年に運よくイタリアにも行かせていただくことになり、晴れて
「認知運動療法士」
というライセンスをいただくことが出来ました。
いま考える認知神経リハビリテーション
二年目になる今年。
昨年は受講者として参加させていただいたベーシックコースにこれもまた本当に運よく運営スタッフ・アシスタントとして関わらせていただき、昨年までは見えなかった認知の考え方や講師の方々、他の運営スタッフの方々と色々なディスカッションができ本当に濃密な二日間となりました。
現在、認知神経リハは「行為間比較」というのがテーマになっており、過去の記憶や経験を現在に想起し、これを治療に活かしていくといったものがトピックになっています。
これからの認知神経リハがどのように発展していくのか。
それは、認知神経リハ学会の一員として大変気になる部分ではありますが、しかし患者様を診させていただくときにやはり「認知目線」だけで患者様を診てしまうとこれはやはり本末転倒で、見方にバイアスがかかってしまうと思うのです。
自分のやりたい治療をするのではなく、何が患者様の治療に必要なのか
方法論ありきの治療ではいけないと思うのです。
現象とscience(メカニズム)をきちんと考え仮説を立案したうえでどの方法論がこの患者様には適しているのか。
認知を深く研鑽して行く一方で、やはりこの部分は病態解釈を行う上で大切なのではないかと感じています。
イタリアと日本では医療制度が違います。
向こうでは「認知神経リハ」を求めて患者様が来ますが、日本では必ずしもそうではありません。
そういった部分を考慮しながら、患者様に理学療法を提供出来たらと思います。
今回、ベーシックコースの二日間を通してやはり認知神経リハの考え方は好きだし、学生の頃に感じた感動や希望が今でも変わりません。
そういった意味で、これからも突き進んでいく一方で良し悪しを自分で判断しながら研鑽していきたいと思っています。
そして、今後さらに学会発表や研究発表を通して認知神経リハの理論やまだ憶測になっている知見が科学的に証明されるように僕自身貢献できたらと強く感じています。
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