左足をとりもどすまで②

さて今回もオリバーサックス著書の「左足をとりもどすまで」の中から抜粋して、身体性の一端に触れていこうと思います。

左足をとりもどすまで①

 

目次

左足をとりもどすまで

患者になった医者

「この世と訣別する」ことになったはずのあの日を、彼は死力を尽くして何とか切り抜けました。

「今でも信じられないようだ。もっとも折れた左足というおまけつきではあったが・・・」

 

しかし、彼はこの出来事をきっかけにさらに奇妙な体験である第二幕が始まるのです。

・・・

・・・

救助されたサックス氏は、登山を行った地域の地元の医者の所へ運ばれました。

そしてその医師はこう言いました。

「大腿四頭筋が断裂しています。それ以外はわかりません。とにかく病院に運ばなくては。」

 

そのためサックス氏は、約100キロほど離れた病院へ救急車で運ばれることになりました。

そして、その病院の担当医からはサックス氏へ

「大掛かりな手術になりますが難しいものではありません。」

との旨を伝えられ、こうしてサックス氏は手術を行うことになりました。

 

手術当日。

執刀医が朝、病室にやってきました。

「気分はいかがですか?何も心配いりません。腱が断裂していますからそれをつなぎ、連続性を回復するわけです。それだけで、あとは何も必要ありません。」

そう言うと、部屋を出ていきました。

そしてその後麻酔がかけられいよいよ手術が始まりました。

・・・

・・・

手術後、約7時間後にサックス氏は目を覚まし、丁度側にいた研修医に手術はどうだったのかを尋ねました。

すると研修医は

「全く問題ありません。」

と答えました。

自分の足をみてみると、左足にはギブスが施されていました。

ギブスに覆われていない大腿部の上の方に目をやると、かなり腫れているものの血色の良い足が見えました。

 

彼は、左足の腱がつながりこれから順調に進んでいくと考えると嬉しくてたまらなくなりました。

 

ただ時間がかかることは覚悟しており、回復期に2.3ヶ月はに入院しなければならないだろうと思っていました。

ただ、これまでの奇跡的な生還劇に比べればこのくらい大した問題ではなく、あとは大腿四頭筋を緊張させることが出来ることや、力を入れたり抜いたリすることが出来れば言うことはないだろう。

そう思っていました。

 

「腱がつながったのだから、速やかに筋肉を鍛え直そう。ウェイトリフティングをやっていたので筋肉を鍛え体力をつけるのはお手の物だ。みんなを驚かせてやるぞ。」

こういった想像を行い、そこで彼は実際に大腿四頭筋を緊張させてみることにしました。

 

ところが、どういうわけか筋肉が全く反応しない。何も感じないのです。

 

不思議に感じた彼は今度は自分の左足を凝視しながらもう一度収縮させてみましたが、やはり反応もなく何も感じませんでした。

 

ただ、彼も医者なため術後に筋が萎縮することを知っていたので、今回も筋が萎縮しているせいなのかと考えました。

しかし、この萎縮以上に大きな不安要素としてあったのは、大腿四頭筋が不自然なほどだらりとしていたのです。

 

それは、使っていないことから生じる萎縮とは到底思えないようなくらい、筋肉という感じがしなかったのです。

 

やわらかい無生物かゼリーやチーズのような、健康な筋肉の持つ弾性力や緊張がそこにはありません。

 

こういった体験に対しサックス氏はあまりの恐怖にめまいがし、震えてきました。

 

しかし、彼はすぐにこれはばかばかしい夢だと自分に言い聞かせ、朝になればもとに戻っているだろうと考えなおしました。

 

-翌日-

 

朝食後に、理学療法士がやってきてリハビリを行うことになっていました。

前日の夜の奇妙な体験を払拭してくれるくらい、リハビリの専門家なら左足を強化してくれるだろう。

サックス氏はそう思っていました。

 

そして、すぐに女性の理学療法士が病室にやってきてリハビリテーションが始まりました。

 

彼女はある程度の問診と計測を終わらせた後に

「触診や計測は済んだので何か実際にやってみましょう」

と言いました。そして

「筋肉を緊張させるのはどうでしょう。こちら側(左足)の大腿四頭筋を緊張させてみてください。やり方はお分かりでしょう。私が手を置いている場所をただ緊張させるだけで良いのです。」

 

サックス氏はすぐに左足の大腿四頭筋を力いっぱい緊張させましたが、一向にその形跡はみられず何度やってもできないのです。

 

すると彼女は

「では膝蓋骨を自分の方に引き寄せる運動をしてみましょう(いわゆるパテラセッティング)。」

 

といったため、言われたとおりにやってみるがやはり何も起こりません。

筋肉が微動だにしないのです。

すると理学療法士の彼女は徐々に動揺し始めたのか体育教師のような気節い口調でこう言いました。

「サックス先生、本当にやる気はあるんですか!」

 

「すみません」とサックス氏は額の汗をぬぐいながら弱々しく言うと

「精一杯やっているつもりなんですが・・・」

と続けました。

 

この後、同じように訓練は続いたが結局この日は筋肉の緊張は一度も起きないままリハビリは終了しました。

 

サックス氏はリハビリが終わった後に、一生懸命集中しているにも関わらず動かない左足に大きな敗北感と憂鬱感を味わっていました。

 

そして、リハビリ開始直後に理学療法士の方から言われた言葉を思い出しました。

 

「大腿四頭筋を緊張させてください。やり方はおわかりでしょう。」

 

この時、ふとサックス氏は思ったのです。

 

「私にはそのやり方がそもそも分からない。」

 

どうやって大腿四頭筋を収縮させるのか、膝蓋骨をどうやって引き上げるのか。さらには股関節をどうやって曲げるのか。

 

そういったことすら一向に思い浮かばず、左足に関して「何か」を忘れてしまっていると感じていました。

 

この何かというのを考えるとしたら上記の言語記述から推測すると恐らく、患側肢における「運動イメージ」が破綻しているのではないかと解釈することが出来ます。

 

サックス氏は筋肉が死んだように反応しない事にひどく困惑しました。

前夜にうっすら感じた「死んでしまった左足」というのが再び強く表れ始めたのです。

 

考えないようにしていたつもりでしたが、リハビリを通してやはり実感することになりました。

 

・・・

・・・

色々考えるうちにいつの間にか眠りに落ちていたサックス氏は、突然看護師から荒々しく起こされました。

 

普段はとても落ち着いている彼女が、昼食を運ぼうとドアの覗き窓からみると、あまりの光景にお盆を放りだして駆け込んできたのです。

 

「サックス先生!左足をご覧になってください!もう少しで床に落ちそうです!」

 

「そんな馬鹿な」と起こされたサックス氏は

「足はちゃんとここにあるよ。目の前にね。」

 

「いいえ。ちゃんと見てください」

と彼女が言うので、サックス氏は笑いながら

「冗談はよしてくれ」

と体を起こし自分の本来あるはずと思っている左足の部分に目をやると、そこに左足がないのです。

信じられませんが、そこに左足はなかったのです。

 

いったいどこに行ったのだろうと周辺を見渡してみると、左側の離れたところに、チョークのような筒(ギブス)があるのです。

 

それはサックス氏の胴体から出ていて、看護師が言うように半分以上ベッドからずり落ちていました。

 

…..それは自分の左足に違いなかったのです。

 

一体どうなっているのかとサックス氏は困惑しました。

「左足は体の前にあると感じていた。少なくともそう思い込んでいた。ところが今は別の場所にある。ほぼ直角に横に動いている。」

 

混乱したサックス氏は状態を倒し再び仰向けに寝ました。

そして看護師に

「左足を元の位置に戻してくれませんか?」

と言いました。

 

サックス氏は、彼女が戻してくれるのを待っていたのですが、なんと驚いたことに彼女は足を戻してくれず、こともあろうか部屋から出ていこうとしていたのです。

 

そこでサックス氏は大声で叫びました

「スールーさん!(看護師の名前)どうしたんですか?早く足を戻してください!」

 

急に大声で呼び止められた看護師はびっくりし、振り向くと

「先生冗談はやめてください。戻していますよ!」

といったのです。

 

サックス氏は唖然とし返す言葉もありませんでした。

 

ベッドのサイドバーを握ってもう一度状態を起こして確認すると、看護師が言ったことは冗談ではなく左足は本当に元の位置に戻っていました。

 

戻されたという感触が全くなかったのです。

 

そこでサックス氏は最後にその看護師に対してお願いをしました。

「スールーさん。すまないが左足を少しもって動かしてはくれないだろうか。」

 

そして彼女に動かしてもらう間、サックス氏は自分の左足を注意深く観察しました。

一部始終観察し、動いている事実を見たにも関わらずサックス氏の左足は、”動いている感じが全くしない”のです。

 

目を瞑り、動いている感覚に注意を研ぎ澄ましてもやはり動いている感じは分かりませんでした。

 

本来ヒトは身体をごくわずかに動かされただけでも容易に分かる仕組みになっています。

これはシェリントンが「Proprioception(固有感覚)」と名付けた感覚の事で、人はこの感覚が多様に存在するので、このおかげで人は、「自己を所有している」と認識しているのです。

 

しかし、サックス氏はこの感覚が全く惹起していませんでした。

 

以下はサックス氏が自分の左足に対して感じたことを言語化したものです。

 

・見たとたんに私には自分の足ではないことが分かった。

・自分の身体ではない。

・身体の一部とは到底思えない

・絶対に自分のものではないものが信じられないことに私にくっついている

・昨日自分の左足を触った時は、ゼリーやチーズを触っている感触だったが、今は信じられないことに触ってもそこに何もない。指に触れているものはもはや「物質」とは思えない。

・私が何かを失ってしまったことは確かだ。それは「左足」らしい。そんな馬鹿な。足はそこにあるではないか。ギブスに保護されて、ちゃんと「存在」している。それは事実だ。いやそうとばかりは言えない。足を「所有する」という問題に関してはどうにも不安で確信を持つことが出来ない。

なくした左足の神経学的解釈

サックス氏は左足に関する所有感を失いました。

これを神経心理学的にみると、サックス氏は足についての内なるイメージ、概念を失ってしまったのです。

つまり、脳の中にある左足のボディイメージが破壊されたのです。

その結果現実の足は、自分に関わりのある愛しいものではなくなり、生命のない、無機質の、異質なものになり果ててしまったのです。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。

「身体所有感」

あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、今回の事例を通して少しでもお分かりいただけたなら幸いです。

 

このようなサックス氏の経験は本来脳卒中後遺症患者に多くみられる、いわゆる「身体失認」に似たような現象だとも言えます。

 

しかし、サックス氏のように脳に全く障害の無かった整形外科疾患においても二次的にこのような障害というのは起こり得るのです。

 

理学療法士の仕事が基本的動作能力の回復とするならば、こういった「身体所有感」といったものはもしかすると、動作に直接的に関わるものではないかもしれません。

 

しかし、僕はこの身体所有感や運動主体感といった「身体性」というのは「人間らしさ」というもっと大きな部分で非常に大事になってくるワードではないかと思うのです。

 

動けないものを動けるようにする。

 

これも100%大事なことに変わりはないですが、それに加え「人間らしさの復権」というテーマを掲げ、僕は今後もこの身体性を追い続けていきたいと思っています。

 

 

 

※これまでお話ししたものは著書「左足をとりもどすまで」のサックス氏の経験のほんの一部です。
実はまだ続きがあるのですが、もし興味がある方いましたら是非一度読んでみてください!

 

 

 

 

 

 

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