さて、本日は僕きんたろーが臨床を行っていく上で強く意識している点について大きく2つのポイントに絞ってお伝えしていきたいと思います。
この辺りというのは、Instagramの方(インスタライブなど)でも何度かお伝えしている部分にはなるんですが、改めてテキストの方でも言語化していけたらと思います。
今回お伝えする内容は、臨床推論を行っていく上で
- 病態解釈を“なんとなく”で終わらせない
- バイアスのかかった臨床を展開しない
ために、非常に重要なポイントであると個人的に考えている部分になりますので、最後までご覧いただけると嬉しいです。
【きんたろーの臨床観】臨床推論を行う際に強く意識している2つのこと
①抽象度の高い言葉で理解したつもりにならない
僕は、臨床推論をはじめ病態解釈を行うときに『筋機能障害』や『低(高)緊張』、『アライメント不良』、『支持性の低下』などなど、こういった「一見それっぽい事を言っているようだけど、本当に意味することが何か分からない」ワードのみで患者様の病態を理解したつもりにならないように強く意識しています。
というのも、例えば『◯◯筋の低緊張が問題だ』と言った場合、本当に大切なのは低緊張そのものではなく、「それが具体的にどこに、そしてどのようなメカニズムで発生していて、かつどんな問題に繋がっているのか?」みたいなところだと思います。
要は、「低緊張が問題って具体的に何が起きてんの?」ていう部分ですね。
ここを解像度高く抑えないまま、『低緊張である』という抽象度の高い言葉で理解したつもりになっていると、推論自体も「なんだか理解したっぽく表現できているけど意外と鮮明に言語化できない」みたいなことになっちゃうような気がしています。
もちろん、カンファレンスなど他者に対して手短に説明する際にはこういった言葉を使うことはありますが、少なくとも自分の頭の中や臨床ノートの中ではこういう抽象度の高い言葉は一切用いないようにしています。
仮に用いるとしても、それが具体的にどのような現象なのかそれを必ず言語化できるレベルまで明記しています。
②できる限り『事実』を抑え解釈を混ぜない
臨床で病態解釈を行っていく段階においては、患者様が示す症状や現象といった『事実』をできる限り抽出し、そこに自分自身の『解釈』は含めないようにすることが大事であると考えています。
これは、実際に臨床を行っていく時には非常に難しい場面も多々あるんですが(全てを客観的な事実として表出するのが難しいので)、だからと言ってこの意識を外していいわけがないと感じています。
例えば、 「◯◯筋の低緊張がある。その根拠は僕が触った感触(触診)です。」 という主張で考えてみると。
確かに臨床においては自分の経験からくるスキルもあながち的を得ていたりする場面もあるし、職人気質の強い仕事なだけにその感覚的な部分も非常に大事であるということも十分理解はしています。
一方で、こういった誰がどうみても明らかな『事実』ではなく、主観的な”解釈”が混じっているようなものだけを拾いまくってしまうと負の側面として起きやすいのが、『自分の都合で事実をねじ曲げる事が出来ちゃうこと』です。
要は、「“私は”低緊張だと思いました。」と言ってしまえばそれが自分の中では『事実』になってしまうので、実際の筋緊張がどうなのか?みたいなところに思考を展開しづらくなってしまいます。
つまり、本当の事実ではなく解釈止まりのまま自分のやりたい臨床を進めていく可能性が非常に高くなってしまうわけです。
よって、全ての情報を客観的に示すことは難しかったとしてもできる限りちゃんと事実を集める。という姿勢はやはり持っておきたいなと思っています。
というわけで、以上2つが僕きんたろーが臨床推論を行っていく上で大切にしていることなんですが、以前この2つについての話しをインスタライブで行ったことがあって、その際に一つ質問を頂きました。
で、この質問が非常に的を得ているといいますか、一定数の方が抱いている疑問ではないかと感じたので、この質問についても共有したいと思います。
臨床推論に自分の解釈を混ぜないコツ
事実をありのまま捉えるということが本当に大事ですよね。でもやっぱり無意識に事実+自分解釈が含まってしまって困っています(特に人の話を聞いてる時とかも)。意識してやらないといけないのはわかりますが、キンタローさんの中でのコツみたいなことってありますか??
こちらの質問に対する僕の答えは以下です。
「出来るだけ客観的なFACTを集めること」
これって確かに実践しようとするとおっしゃる通りとても難しいんですが、その中で僕自身この点に関して行っていることは以下2点です。
頭の中の思考を必ず書き出す
ノートでもデータベースでもいいので、頭の中で考えていることをまずは書き出すとことが大事だと考えています。
理由としては、臨床推論を書き出し自分の思考を可視化できる状態にすることによって、一歩引いて自分の推論を眺めることが出来るからです。
頭の中だけで推論を組み立てていくと、多くの場合「自分にとって都合の良い情報だけ残り、都合の悪い情報はなくなっていく。」ケースが多いです。
そのため、書くことによって都合の悪い事実もそこに残るので、自分自身の臨床推論をメタ認知できるのではないかと思います。
『想像』か『事実』なのかを自分に必ず問う
これはマインドセットに近い話しにはなるんですが、僕は毎回の臨床終了後に臨床ノートをまとめる際、必ず自分が立てた仮説に対しては根拠を書き出すようにしています。(それが①)
この時、その根拠一つ一つに 「この根拠は自分の感想(想像)なの?それとも事実なの?」と必ず問うようにしています。
要は、ある種自分自身を常に疑ってかかるという姿勢です。
感覚としては、『臨床推論を行っている自分』とそれを監視しフィードバックを行う『バイザーとしての自分』という2人で臨床を進めている感じです。
僕自身元々、自分の興味・関心のある学問や事象に思考が引っ張られやすい性格なので、自分自身に問いを立てない(疑わない)まま思いつきだけで思考を展開すると、どうしても自分の「考えやすい」方向へ臨床推論が流されていってしまいます。
だからこそ、それを防ぐために「書き出すこと」と、思考にブレーキをかける目的で「自分に問う」というのを日々実践しています。
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