イップスの定義と病態メカニズムを分かりやすく解説

man throwing baseball

野球経験者であれば一度は耳にしたことがあるであろう言葉に『イップス』というものがあります。

イップスとは、筋肉が損傷したわけでも運動機能が著しく低下している状態じゃないにも関わらず、上手くボールを投げられない現象です。

具体的には、ボールを投げるとたった10数メートル先にいるキャッチボールの相手にボールが届かず目の前に落ちたり、逆に大暴投になったりするのです。

実は、この記事の筆者である私も小学校から社会人まで野球にのめり込んでいたのですが中学生の頃このイップスになってしまいました。

だからこそ、イップスの辛さや暗いトンネルから抜け出せない感というのは今でも鮮明に覚えています。

当時は、「なぜイップスになっちゃうんだろう…」という原因がさっぱり分からなかったのですが、私自身理学療法士となり人の体の使い方を勉強していく中で少しイップスについて分かったことがあるので、今回はその点について解説していきたいと思います。

目次

イップスの定義と病態メカニズムを分かりやすく解説

イップスとは何か

まずは、イップスとはなんなのか。意外とこの言葉の定義ってふわっとしている部分があるかと思うので、まずはここの足並みを揃えたいと思います。

イップスに関して長年研究や指導を行っている河野昭典氏によると、イップスとは「今までできていた運動が急にできなくなる症状」と述べています。

また、広島大学院医系科学研究科感覚運動神経科学助教である渡邊龍憲氏によると、イップスとは「練習により熟練し自動化された競技動作の遂行障害」と述べています。

この2つの定義から言えること。

それは、イップスというのは単に野球選手がボールを投げられなくなるそれ、ではなく「慣れていた運動が急にできなくなる」という点を踏まえると、どのような競技であれ生じうる可能性があるということです。

だからこそイップスという障害は、野球に限らずピアニストや書道家といった幅広い分野においても見られる障害と言われています。

では、この『イップス』ですが一体由来はどこから来ているのでしょうか。

イップスはゴルフから生まれた

イップスの名付け親はプロゴルファーの『トミー・アーマー』という人物です。

症状は上記で述べた通りですが少し付け加えると、彼はパターをグリーンに突き立ててしまったり、両手首が震えたり捻じれたりするのです。また、肩が固まってしまい動かなくなるといった症状もあったようです。

このように、最初にイップスとして報告されたのはまさかの野球ではなくゴルフで、プロゴルファーの方々の中でイップスにより引退を余儀なくされた人物というのはかなり多いと言われています。

ちなみに、世界的にみるとイップスの研究件数というのは野球よりもゴルフの方が圧倒的に多く、イップスの有病率を出したものもそこそこあります。

例えば、オランダのゴルファーを対象に行われた研究では、234名中イップスに悩まされている方はそのうちの2割である52名もいることが分かりました。

イップスを患った有名人といえば

ちなみに日本人でイップス患い苦しんだ有名人の方と言えば、元プロ野球選手である”イチロー選手”です。

イチロー選手は2016年のテレビのインタビューでイップスに関してこのように話しています。

ピッチャーやるのもピッチャーだったら一番目立つ。でもプロに入ったらこっちのもん。みんな同じところからスタートなんで。ドラフトが1位だろうが10位だろうが関係ない僕にとって。だからピッチャーを続けたかったというのがあったんですけど、途中僕イップスになっちゃったんで。(高2の春)

そして、イップスになった原因に関して聞かれた際はこのように答えています。

僕らの時代はまだ一年生の僕らはごみで、二年生が人間、三年生が神様っていう位置づけなので、ごみが神様に投げるわけですから、それは大変なもん。それでイップスに。

どうやって克服したのかについては…

センスです。これは努力ではどうしようもない。僕の野球人生1番のスランプでしたね。だって投げれない。一番自信があったものですからね投げる事って当時。」

このように、あの天才イチロー選手も努力ではどうにもならないというほどの障害。それが『イップス』なんです。

最近だと、阪神タイガースの藤浪投手もイップスになっていると噂されている時期がありましたよね。

ではこの『イップス』ですが、一体どのようなメカニズムによって陥ってしまうのでしょうか。

次はそれを紐解いていきたいと思います。

イップスは2種類に分離される

Smithら(2003)は、イップスに罹患したプレイヤーを症状によって2つに分類することを提案しており、それがフォーカル・ジストニアⅠ型(focal dystonia:typeⅠ)チョーキング・ジストニアⅡ型(choking:typeⅡ)です。

フォーカル・ジストニアⅠ型(focal dystonia:typeⅠ)

イップスを抱えている人の中でも、『ジャーキング』や『フリーズ』などの身体的症状があるプレイヤーをフォーカル・ジストニア(イップスⅠ型)と言います。

ジャーキング現象

ジャーキング現象とは、自分の意思とは関係なく筋肉が急に収縮する現象です。寝ていると急に体が「ビクッ」と動く人を見たことがありませんか?あれです。

フォーカル・ジストニア(イップスⅠ型)に対する治療方法として推奨されているのは、『ボツリヌス注射』や『薬物療法』とされています。

フォーカルジストニア患者では、仕事量、手技の変化、長引く痛みなど非心理的要因が症状発現に関与することが報告されている(Altenmüller and Jabusch, 2009, 2010)。

Difference in Personality Traits and Symptom Intensity According to the Trigger-Based Classification of Throwing Yips in Baseball Players.aoyama,2021

チョーキング・ジストニアⅡ型(choking dystonia:typeⅡ)

もう一つ、イップスを抱えている方の中でも『不安』などの心理的症状があるより強く出ているプレイヤーをチョーキング・ジストニア(イップスⅡ型)と呼びます。

ボツリヌスや薬物療法が主となるフォーカル・ジストニア(イップスⅠ型)とは異なり、不安をはじめとする心理的な問題が主となるチョーキング・ジストニア(イップスⅡ型)では『心理療法』がメインの治療となってきます。

先行研究では、イップス罹患ゴルファーの75%がトーナメント中に症状を呈し始めたとされています。したがって極度のプレッシャーや不安などの心理的要因がイップスの初期発現に強く影響している可能性がある。

Difference in Personality Traits and Symptom Intensity According to the Trigger-Based Classification of Throwing Yips in Baseball Players.aoyama,2021

このように、イップスといってもタイプや、後ほど解説する病態との組み合わせによって実施する治療方法は変わるので、治療に携わるセラピストの皆さんはしっかり抑えておきたいところです。

イップスの病態生理学

現在、イップスに関する病態仮説は大きく2つ存在します。それが『Loss of inhibition』と『Abnormal plasticity regulation』です。

一つずつ解説していきますね。

1.Loss of inhibition

これは、中枢神経における運動制御回路の中で運動を抑制をするシステムが破綻しているという仮説です。私たちヒトが様々な運動の際、より巧緻的な要素が求められる場合、そのパフォーマンスの遂行のためには、動作に関連しない脳内活動は抑制されなければなりません。

これは、プロサッカー選手であるネイマールの脳活動からも明らかになっている事実です。

以下の図は、(ネイマール含む)日常的にスポーツを行っている選手が足首の運動を行っている時の脳活動を表したものです。

Efficient foot motor control by Neymar’s brain.Naito E,2014より引用

見ると、一番左上にあるネイマールの脳活動だけそのほかの人たちに比べると著しく限局化されているのが分かるでしょうか?

これは、どういうことかというと、パフォーマンスレベルが高い人ほど脳内の活動というのは小さく無駄な脳領域を賦活させないのです。

これが上記で述べた「動作に関連しない脳内活動を抑制する」ということです。

運動が熟練するほど普通なら脳内活動は限局化していくのですが、イップスではこの抑制がきかないために、巧緻的な運動を行えない。といった状態になることが病態仮説の一つとして考えられています。

イップスは別名『職業性ジストニア』とも呼ばれており、同じような病態に「書痙」と言われるものがあります。

ジストニアとは

自分の意思とは反して制御できない運動が勝手に生じること

書痙は、何かを書く際必ずジストニアが生じてしまう病態なんですが、実は彼(彼女)らを対象とした研究で、脊髄や大脳皮質、皮質-皮質ネットワークにおいて抑制の減弱が見られたという報告がされています。

つまり、運動時(書くとき)に脳内が働きすぎている(過活動)ということです。

2.Abnormal plasticity regulation

もう一つ、イップスのメカニズムとして考えられているのが『Abnormal plasticity regulation』という病態です。

これは、脳内の可塑性制御に障害があるという仮説です。

「脳内の可塑性制御の障害」と言われてもピンとこないと思うのでもう少し詳しく説明します。

ジストニアを有する患者の脳内を観察したところ、彼(彼女)らの特徴としてAbnormal spread(異常な広がり)というのを有していることが分かりました。

これはどういうことか、一言でいうと「運動に関連しない脳領域も活動する」という現象です。

なんとなく、一つ目の仮説と似ているような気もしますが両者の大きな違い。

それは、『Loss of inhibition』の場合は対応する運動関連領域が広く活動してしまうのですが、『Abnormal plasticity regulation』はその運動に全く関連しない運動関連領域までもが活動してしまうということです。

そして、逆に両者の共通点は何かというと、それは中枢神経系の機能障害が起きているということです。

つまり、イップスというのは何らか脳内をはじめとする神経系の問題が生じている可能性が示唆されているわけです。

イップス対する働きかけ

現在、イップスに対する効果的な治療というのはまだありません。

なぜならば、まだイップス自体の病態メカニズムが仮説止まりで全部が明らかになっていないからです。

ただし、ここで抑えておくべき点。

それは、仮説レベルであれイップスのメカニズムとして神経系の問題が孕んでいる可能性があるということです。

これまでイップスというと、なんとなく「メンタルの問題だ!」とイップスを患っている個人の“気持ちの弱さ”みたいなところに原因が放り投げられている風潮がありました。

もちろん、少なからずメンタルの問題が絡んでいること自体否定はしませんが、もしかするとそれだけでは止まらない可能性もあるわけです。

その可能性が1%でもある以上、より丁寧に治療やリハビリテーションを進めていく必要がある病態かもしれないので、ここは個人に責任を押し付けるのではなく医療スタッフ並びに指導者の皆さんの理解がすごく必要になるところではないかと考えています。

参考文献

1)イップスを発症しているアスリートでは運動時に特徴的な脳活動が見られることを解明〜イップス克服方法の確立に期待〜.渡邊龍憲,2021

2)The “yips” in golf: a continuum between a focal dystonia and choking.Smith,2003

3)Difference in Personality Traits and Symptom Intensity According to the Trigger-Based Classification of Throwing Yips in Baseball Players.aoyama,2021

4)Efficient foot motor control by Neymar’s brain.Naito E,2014

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