脳卒中後一定数の方にみられる現象の一つである股関節前面に発生する痛み。
理学療法士や作業療法士のみなさんも、一度はこのような患者様を臨床現場で見かけた経験があるのではないでしょうか?
そこで今回は、脳卒中後遺症患者様にみられる股関節(特に前面)の痛みのメカニズムを、千里リハビリテーション病院の吉尾雅春先生の論文を参考に紐解いていきたいと思います。
- 脳卒中リハビリテーションに従事しており股関節の痛みを呈する患者様を担当しているセラピストの方
脳卒中後股関節に生じる疼痛発生メカニズムを解説
今回、脳卒中後に生じる股関節痛のメカニズムを紐解いていくにあたり、前提知識として股関節の解剖学と運動学を軽く抑えておく必要があるため、まずはそこから解説していきたいと思います。
真の股関節屈曲可動域って知ってる?
さていきなりですが質問です。
股関節屈曲の参考可動域って何度でしょうか?
そのくらい知ってるわ!学校で習ったからね!125°!
大多数の方が養成校時代から、このように教わってきたのではないでしょうか。
これ、半分正解で半分不正解です。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの125°という股関節屈曲角度は骨盤の動きも含めた可動域です。
吉尾先生は解剖遺体にて股関節運動を研究しており、その結果本来骨盤の動きを含めずに純粋に股関節を屈曲した場合の可動域というのは約70°だったそうです。
セラピストのための解剖学-根本から治療に携わるために必要な知識-.吉尾雅春,2013
このような、骨盤の動きを含めない純粋に寛骨と股関節の関節面からなる関節を“寛骨大腿関節”といいます。
しかし、股関節周囲というのは多くの軟部組織に覆われており、この軟部組織の影響によって多少角度に変化が出るため、これらの要素を加えるとヒトの股関節屈曲運動は平均93°とされています。
つまり、真の股関節屈曲角度というのは約90°なのです。
では、この角度以上股関節を屈曲していくと何が起きてくるでしょうか?
そう、骨盤が後傾するのです。
ヒトが股関節を(いわゆる参考可動域と言われる)120°くらい屈曲できる理由は、上図のように股関節屈曲が生じるとともに骨盤がそれに伴って後傾してくれるからなんですね。
ここが、今回の話しのキモと言っても良い部分なのでしっかり抑えておきましょう。
股関節屈曲とインピンジメント
さて、この基礎的な話しを抑えた上で本題です。
お聞きしたいことは、「もしも骨盤の動きを伴わずに股関節のみが屈曲したらどうなるでしょうか?」という問いです。
実は、ここに脳卒中後遺症患者様における股関節痛のヒントが隠されています。
骨盤後傾が行えない状態で、股関節のみが93°以上屈曲してしまうとどうなるか?
以下の図でイメージしてもらえばと思うのですが、まず股関節を屈曲していく場合には必ずその間を走行する筋肉含めた組織が存在します。
ここで代表的な筋肉を挙げるとすると、大腿直筋などですね。
その上で、遺体解剖を行ってわかったこと。
それは、股関節屈曲を行っていくと下前腸骨棘と大腿骨がぶつかる人とそうでない人がいる事が明らかになりました。
ただ、ぶつからない人でもその隙間は1cmほどだそうで、その間に存在する組織(大腿直筋…etc)というのは、容易に挟み込まれてしまうといった現象(インピンジメント)が生じるのです。
これこそが脳卒中後に股関節前面の痛みを発生させる原因の一つであると吉尾先生は述べられています。
衝撃なことに、なんと脳卒中を患った方の3人に1人はこの部位に炎症が生じているそうです。
なぜ、脳卒中後において股関節にインピンジメントが生じるのか?
一旦ここまでお伝えした内容のポイントをまとめます。
- 純粋な股関節屈曲角度は約90°でそれ以上屈曲すると骨盤が後傾する
- 股関節屈曲に伴い骨盤の後傾が生じないと大腿骨と下前腸骨棘の間でインピンジメントが生じる
- 脳卒中後遺症患者様の3人に1人はインピンジメントによって組織に炎症が生じている。
これらポイントを端的にまとめるとこんな感じかなと。
とくると、次に出てくる疑問がこれです。
なぜ、脳卒中発症後は股関節屈曲に伴って骨盤が後傾しないんだろうか?
確かにその通りですよね。
というわけで次は、この点について解説していきたいと思います。
股関節運動に伴い骨盤の動きが連動する神経システム
脳卒中後遺症患者様において、股関節屈曲運動に伴う骨盤後傾が生じないのは何故か?
というところですが、それを知るために抑えておかなければならないのは股関節運動に伴って骨盤が連動する神経システムについてです。
結論からいうと、この股関節屈曲運動に伴う骨盤後傾という動きは網様体脊髄路という神経系の働きによって遂行されていると考えられています。
網様体脊髄路について詳しく知りたい方はこちらの記事へ
網様体脊髄路の主な働きは、体幹や四肢の近位筋を支配し股関節含めた上下肢の運動に合わせて体幹(骨盤)の動きを制御しています。
では仮に、何らかの理由によって網様体脊髄路が働かない状況になるとどうなるか。
これはお察しの通り、下肢の運動に伴った骨盤の動きが生じない可能性が高くなります。
では、網様体脊髄路が一時的にでも全く機能しなくなる時はいつか?
というと、実はそれが脳卒中(特に急性期)なのです。
近年明らかになっている脳卒中後の運動機能回復の流れは、発症後経過とともに非損傷側と同側の皮質脊髄路、そして網様体脊髄路が運動機能を代行していくと考えられています。
ただし、脳卒中発症後急性期というのは、皮質脊髄路はもちろんですが網様体脊髄路に関しても一時的に機能がぱったりと止まってしまいます。
その結果、麻痺側の筋肉は弛緩状態となり、加えて四肢の運動に連動して生じる体幹(骨盤)の運動も上手く機能しなくなるわけです。
療法士がつくりだしている可能性がある股関節の疼痛
では、ここまでお話ししてきた内容を踏まえた上で次から少し毛色を変えていきます。
テーマは、「意図せず療法士が股関節の疼痛を生み出している可能性があるかもしれない」という話しです。
臨床場面を具体的に想像すると、大きく2つのポイントがリスクファクターになり得るため、その点について解説していきます。
【リスク①】関節可動域訓練
これまで述べてきたように、股関節が約90°以上屈曲する際は必ず骨盤の動き(後傾)が伴なっていなければなりません。
このように考えた上で少し臨床を振り返ってみると、実は我々セラピストがこの痛みをつくりだしてしまっているケースがあります。
脳卒中後、特に急性期の患者様のリハビリテーションを進めていく場合、皮質脊髄路や網様体脊髄路といった神経系が機能していない可能性が(あくまで仮説として)想定されます。
その上で現象学的な話しをするとこの場合、股関節屈曲運動に伴った骨盤の動きなんて出てくれない可能性があるわけなんですが、その場合に例えば股関節の関節可動域訓練を行う際そういった部分を無視しして、ガンガン深屈曲(90°以上)してしまうとどうなるか。
これは、容易に股関節前面における組織のインピンジメントを加速させてしまいかねない状況になるわけです。
【リスク②】座位姿勢
もう一つ、療法士が意図せず痛みを作り出している可能性についてお話しします。
脳卒中後におけるリハビリテーションの一つの考えとして『早期離床』というのがありますが、この際の注意点として“座位姿勢”が挙げられます。
その中でも特に目をつけなければならない点は座面の高さです。
なぜならば、座ろうとしているベッドや椅子の座面が低い場合、股関節の屈曲角度が大きくなるからです。
物理的環境(低い座面)により股関節屈曲角度は大きくなっていくにも関わらず、骨盤は後傾しないとなると当然それによって股関節前面の組織にはインピンジメントが生じやすくなります。
よって、患者様にベッドから離床していただく場合や車椅子などに移乗する際は必ずベッドの高さを調節し、股関節が深屈曲しないよう気をつけなければなりません。
脳卒中後股関節に生じる疼痛発生メカニズムまとめ
以上が脳卒中後遺症患者様において股関節の疼痛が発生するメカニズム、そしてその上で療法士が気をつけることでした。
で、最後の最後でいうことでもないんですが、実は今回の記事で一番伝えたかったことは何かというと…
「知識がなければ意図せず患者様を不幸にすることってあるんだよ」ということです。
今回は、股関節における疼痛の原因を紐解くために解剖学や運動学の知識を持ってきましたが、仮にこれら知識がなかった場合、もしかすると股関節周囲の炎症をつくり出していたかもしれません。
そしてここが重要なんですが、この時セラピストは「痛みを生じさせよう」なんて1ミリも思ってないんです。
なんなら、少しでも良くしたいと心の底から思っているでしょう。
しかし、知識がないとこうしたリスクに気づけないという事実は少なからずあるので、僕らセラピストは日々勉強し続けなくちゃいけないんですね。
それでは、今回の記事が皆さんの明日の臨床の一助になれば幸いです。
臨床推論を一から勉強したいあなたへ
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