足元を見ながら歩く片麻痺患者さん

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足元を見ながら歩く片麻痺患者さん

片麻痺患者さんの歩行をみて特徴的な歩行の一つに

「常に足元を見て歩いている」

というものが挙げられます。

また、それは特に歩行を行う通路に障害物や人がいない環境にも関わらず、視線は常に足元にある。

そういった方を見かけた経験はないでしょうか?

今日は、この現象についての研究ベースを中心に解明していきたいと思います。

片麻痺の歩行と視線に関する研究

発症から三カ月以上経過した自立歩行が可能な患者さん12名を対象とした研究があるのですが、この研究では、10m区間の歩行課題をする際の視線の位置を測定する研究でした。

結果は、片麻痺患者さんは健常者に比べるとやはり視線が下方に向いているということが分かったそうです。

しかし、ここで問題なのは

全ての患者さんが足元を見て歩いているわけではないということです。

そこで、個人差に関連する要因を精査した結果

歩行機能が低い人ほど、足元を見て歩く傾向が強い。

ことが分かりました。

一方で、だからと言って麻痺の強さや感覚障害の程度と視線が下方に向くことに対しては相関がみられませんでした。

つまり、決して麻痺や感覚障害の代償として視線が足元に向いているわけではないということです。

ではなぜ片麻痺患者さんは視線が足元に向きやすいか。

といったところなのですがその理由の一つとしては

麻痺側下肢を視野の中に収める事で下肢の運動制御を安定させているのではないだろうか

という見解が得られました。

また、別の研究では転倒に対する不安感が強い人では視線が下方を向きやすいという研究結果がみられていて、以上の二つの研究結果をまとめると…

下肢の運動制御バランスに対する不安感の強い人ほど視線が足元を向きやすいのではないだろうか。

ということが言えるのではないかと思います。

臨床での検証を通して

現に、僕も臨床でこれらの研究に対する実証をしてみたのですが、歩行時に視線が足元を向いている人に対して閉眼させて歩いてもらうと、麻痺側下肢の振り出しが行いづらくなっている印象を受けました。

特に開眼時と閉眼時で大きく違った現象としては、足趾を床からリリースする際です。

閉眼時では、足趾離地がうまく行えず、クローイングや内反といったものが開眼時よりも顕著に表れてくるのです。

そこで、患者さんに

「足元を見て歩いていますがどこを一番見てますか?」

と聞くと「つま先です」と答えた人が多くいました。

このような言語記述から考えられる仮説としては、片麻痺患者さんは歩行時の足趾離地を視覚による制御を行うことで円滑にしている可能性が考えられます。

ということは、麻痺側下肢を振り出すための患者さんの注意のフォーカスはつま先に向いているのですから、その上の膝や股関節などがどのように動いているかといった部分は分からないわけです。

そうなると、歩行の運動イメージ自体が「つま先をどのように動かすか(離すか)」といったところで歩行の運動学習をしていきますから、仮に足趾離地が円滑に行えた運動の結果が、下肢全体でみれば分回し歩行であったとしたら、それを学習するわけです。

要は、歩くためには最終的な下肢の末端が前に進むこと。というのが患者さんの中では大事なので

そのためには、一生懸命つま先を凝視しながら視覚によって足趾離地の運動学習を構築していくのではないだろうかと僕は考えています。

そのため今回のテーマからは少しずれますが、ぶん回し歩行といった異常歩行も、バイオメカニクス的な要素の他にも、このように本人の中での運動イメージ自体から作り出される可能性もあるのではないかと思います。

もし仮にそのような場合であれば、いくら徒手でぶん回しという現象に対して働きかけても、本人主体で「歩く」という行為を行う時には今までの視覚的な運動イメージのまま、歩行を行うのでいつまで経っても現象は変化しないのではないかと思います。

臨床場面を振り返ってみよう

これらを踏まえて、少し臨床を振り返ると

よく歩行訓練などで、セラピストが

「顔を上げてください」

「前向いて歩きましょう」

といった言葉が飛び交うことがありますが、患者さんは下を向くことでしか歩けない、何かしらの不安感や足の振り出しやすさを視覚で補っている可能性があるのではないかと思います。

と考えると、このようなバーバルオーダーは足元を見ながら歩く患者さんのその原因を考えずに、ただ見た目の現象を変化させたいといったセラピストのエゴになる可能性を秘めているのではないだろうかと感じます。

おわりに

私達は現象で見えているものを現象のみで判断し、物理的にセラピストが変化させるという手段が多くみられます。

例えば

伸びないものを伸ばす。

硬い部分を柔らかくする。

もちろん、組織学的にこういった治療手段が必要な場合もありますが、一方で

なぜ、そのように動くのか。

といった、患者さんのあるがままの姿の観察からその人の身体の中ではどう感じているのかというような目では見えない部分を推論しながら、仮説を立てそして結果的に現象を変化させていくという手続きは、私達セラピストには必要ではないかと僕は考えています。

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