麻痺則上肢の疼痛を訴える症例

昨日、脳卒中後右片麻痺を呈して麻痺側上肢の疼痛が日に日に強くなっている患者様の治療介入をさせていただきました。

 

この患者様は担当ではなかったのですが

「どうも筋-関節などの構築学的問題だけじゃなさそうだ。」

と、この方を担当している上司から相談をいただき一度介入してほしいとのことで、今回入らせていただきました。

 

今回は症例を通して少し僕自身の考えを整理する意味も含めて書いていこうと思います。

 

まず、患者様の身体-言語所見ですが痛みが主訴である方のため痛みの程度を最初にお話ししますと、通常はVASで2~3くらいなのですが、痛いときには10くらいとの事でした。

 

どういった場面で痛みが出るか。を伺うと

「寝返りの時に右腕を忘れている時があってその時に痛い。痛みで忘れているのに気づくんです。」

「ふと右手を床につくと腕全体に痛みが走ります。」

「強くはないですが、じっとしてても常に痛みはあります。」

「同じ動かし方でも痛いときと痛くない時があります。」

といったような感じでした。

 

身体機能としては、肩関節屈曲は90°程が限界で痛みが生じており、またその際も肩甲骨挙上の代償がやや入っている状態でした。

前腕の回外も70°程が限度で痛みが生じていました。

 

感覚障害などは特になく、物体の識別や単関節運動の知覚も良好でした。

 

情動的側面に関する評価では、PCSを行ったのですが反芻の項目がやや高く紙面上は「固執傾向」といった結果になりました。

 

また発言としてもやはり「痛み」に対する言語記述が多かったことも加えるとやはり、痛みに対してはやや固執しているといった印象です。

 

認知的側面を考え上では、まず身体所有感があるかどうかを尋ねると特に問題なく自分の手として認知できており、視覚と体性感覚のマッチング課題を行ったのですが、これに関してもあまりミスマッチがありませんでした。

 

次に運動イメージの検査も行いましたが、麻痺側上肢の運動イメージも検査上は想起できていることが分かりました。

 

痛みの再現性ですが、訓練中はじっとしている時には痛みの訴えはありませんでした。

 

また肩を90°屈曲したり、回外したりすると痛みの訴えはあったのですが、これも再現性があるとは言いにくく、痛みが出ない時もありました。

とすると、発言の中にあった

「痛いときと痛くない時がある」

というのは現象と合致するので信ぴょう性としても高い可能性があります。

以上が事実として存在する現象学的側面です。

 

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ここからは僕の推論になっていきます。

まず今回、僕が注目したのは患者様の言葉の中にあった

「同じ動かし方でも痛いときと痛くない時があります。」や

「ふと手をついた時・・・寝返りの際に右手を忘れている」

といった発言に注目しました。

 

まず、同じ動かし方でも痛いときと痛くない時があるという背景を考えると

もし構築学的に何らかの組織障害があった場合、同じ動きで痛みが誘発されるような再現性を伴うはずだと思いました。

 

しかし、この方の場合

「同じ動かし方でも痛いときと痛くない時がある」

という風な発言をされており、さらに介入の際にも同じように動かしても再現性がとれない場面がありました。

 

とすると、もしかしたらその時の情動であったり、認識論的なやや目に見えないプロセスの破綻が今回痛みを増強させている可能性があるのではないかという風に考えました。

 

そこで、次に痛みの再現性がある場合を、実際の検査や入院生活の場面から探っていったのですが、このヒントになったものが、先ほども言いました

 

「ふとした時」や「右手を忘れている」

という言語記述でした。

 

「ふとした時」「忘れている」

とは一体何なのか。

 

これらを少し紐解いていくと訓練中にも同様なことが起きていたなと感じました。

 

というのは、治療介入中に患者様が後ろを振り向いた場面があったのですが、その際に麻痺則上肢が若干動くと「痛いっ!」と肩を抑えていました。

 

勿論そのとき肩関節は90°も屈曲していません。

 

ですので、今度は先ほど痛みがでた動きをもう一度してもらったのですが、その際には痛みがでなかったのです。

なぜ、同じ動きで痛みが出るときと出ない時があるのでしょうか。

 

「ふとした時」「忘れている」

これらは一体何を指しているのでしょうか。

 

この二つの表現を少し神経学的に考えてみたのですが、こうは考えられないでしょうか?

 

「予測」出来ていない。

 

つまり、ふとした時や忘れている時というのは、脳内の運動プロセスの中で麻痺側上肢の動きを予測していない。

遠心性コピー情報の中でも随伴発射と言われるような

「動くとどのような感覚が自分の身体に帰結してくるのか」

といった側面に何かしら破綻をきたしている可能性はないだろうかと考えました。

 

つまり仮説としては

「予測していない動きが生じた時に痛みが惹起されるのではないか」

 

ということになります。

 

これによって痛みが生じるメカニズムは論文では言われていて

森岡周先生らの論文には

『痛みの主観的疼痛強度と強く関係する前帯状回は、情報の不一致や矛盾のモニタリングを行う』

と述べています。

 

つまり今回の症例でいうならば、予測していない動きが生じることによる感覚フィードバックの不一致が痛みの主観的強度を増幅しているのではないだろうか。

 

ということです。

 

以上が今回の病態における仮説です。

 

本来であればここから検証作業に入っていかなければなりませんが、昨日の訓練がここまでで終わってしまっていて実はまだ検証が行えていません。

 

もし機会があり検証出来たらこの結果を報告しようと思います。

 

またもし、このほかに仮説として考えられるものがあれば是非ご一報していただければ幸いです。

 

 

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