【実例あり】『身体図式』と『身体イメージ』の違いを分かりやすく解説

「身体図式と身体イメージの違い」

この言葉の違いを明確に言語化できる人はあまり多くないのではないかと思います。

そこで、この記事では…

  • 身体図式とは何か?
  • 身体イメージとは何か?
  • 身体図式と身体イメージの違いとは?
  • 両者と運動学習の関係性

以上の論点についてお答えしていきます。

この記事を最後までご覧いただければ、身体図式と身体イメージの違いはもちろん、運動学習を進めて行く上でどちらがより重要なのかについても理解ができるようになりますので、ぜひ最後までご覧ください。

目次

【実例あり】『身体図式』と『身体イメージ』の違いを分かりやすく解説

身体図式と身体イメージの定義

生徒

せんせーーい。質問があります!

先生

ほい。今日はどうしたんじゃ?

セラピスト

今日、実習で『身体図式』という言葉が出てきたんです。これって、以前学校で教わった『身体イメージ』と同じものですか?

先生

ふむ。『身体図式』と『身体イメージ』か…実は、この二つの言葉は混同して使われがちじゃが大きく違う点が少しあるんじゃ。

セラピスト

え、そうなんですか?知りませんでした…

先生

そうじゃ。ではちょっと諸家らが述べている『身体図式』と『身体イメージ』について、言葉の定義を集めてみたから見てみようかの。

身体図式(body schema)とは

『自分の身体の姿勢や動きを制御する際にダイナミックに働く無意識のプロセス』森岡.2016

『意識に上る前の脳内身体表現(無意識下でも実行できる運動や姿勢の制御に関わる神経活動)』内藤.2016

『自覚(aeareness)を伴わずに機能する感覚-運動システム(意識の志向対象とならない)』田中.2013

身体イメージ(body image)とは

『自分自身の身体について意識的に持つ表象』森岡.2016

『心に抱いている自分の身体であり、身体に対する主観的認知』高草木.2012

『意識に上る脳内身体表現』内藤.2016

『自己の身体を対象とする認知であり、心像(イメージ)をともなう(意識の志向対象となる)』田中.2013

先生

さて、生徒のみんな。ひとまず身体図式と身体イメージの定義を簡単にまとめてみたが、何か気づくことはあったかな?

セラピスト

んー。2つを見比べてみて気になったのは『意識』というのが何かキーワードになっている印象を受けました。

先生

その通り、いい着眼点じゃな。だから、君がくれた最初の質問に答えるとしたら、『身体図式』と『身体イメージ』の大きな違いというのは“意識できるものか否か”というのが一つポイントになるんじゃ。

セラピスト

なるほど…そういうことだったんですね。

症例から考える身体図式と身体イメージの違い

さて、ここまで『身体図式』と『身体イメージ』の言葉と概念の違いを説明してきました。

次は、この両者の現象学的な病態の違いについて実際の症例を通して学んでいこうと思います。

※ここからお話しする内容は、東海大学の田中先生の論文とご講演の内容を参考にさせていただいています。

ケース① 身体イメージが欠落したシュナイダー

きんたろーInstagramから引用

皆さんはシュナイダーという方を知っていますか?

この方は第一次世界大戦中に後頭部を損傷し、その影響によりこれからお話ししていく様々な症状を呈しました。

彼については、神経学者のゴールドシュタインと心理学者のゲルプが症例として紹介し、哲学者であるメルロ・ポンティという人物が、『身体図式』について彼の話を取り上げて解説しています。

彼の症状は『身体図式』と『身体イメージ』という言葉を現象として観察できる大変興味深い症状を呈しています。

では、早速このシュナイダーさんの呈した症状を『出来ること』と『出来ないこと』、大きく二つに分けて見ていきたいと思います。

出来ること
・箱からマッチ棒を取り出し火を点ける
・蚊に刺された部位に手を持っていき掻く
・ポケットからハンカチを取り出し鼻をかむ

閉眼状態であったとしても、習慣的や生活に必要な運動であれば遂行可能であった。

出来ないこと
・他者から身体の一部(頭部・上肢・下肢)を触られても、どこかを言い当てることが出来ない
・身体部位を動かすように命令されても動かすことが出来ない
・自分の鼻の位置を触る様に命じられても鼻の位置がどこか分からない

他者に指示され、意識して運動を行おうとすると途端に遂行不可能になる。

いかがでしょうか。一見、観念運動失行にも見える症状ですね。

では、ここからこれらの症状を『身体図式』と『身体イメージ』と絡ませてお話ししていこうと思います。

冒頭で述べたように、『身体図式』と言うのは意識化されず、意識の陰に隠れて運動の遂行に貢献するものです。

それ(身体図式)自体は、意識の志向対象とはならない。むしろ、習慣化された動作のように特別な注意を必要としない場面で、より滑らかに機能する。(田中.2013)

これに対して身体イメージは…

一定の注意を求められる複雑な動作を行う場合や、他者からの求めに応じてある動作を行う場合、このような際には特定の部位が一度イメージされる必要がある。

というような違いがあります。シュナイダーさんは特に注意を必要としなかったら上下肢の運動は遂行可能(鼻に指をもっていくなど)であるにも関わらず、運動を指示されたり新しく覚える運動などのように、一度注意や意識の対象となると出来なくなります。

これら現象学的側面と、これまでの説明から導きだされる結論としては…

シュナイダーという症例は、『身体図式』は残存しているにも関わらず『身体イメージ』が欠落していると考えることができます。

彼(シュナイダー)にとって自己の身体は、習慣的かつ具体的な行動の主体ではあっても、知的認識の対象として現れてこない。(田中.2013)

知的認識とはおそらく『イメージ』のこと指しているのだと思います。

このように、身体図式と身体イメージは言葉の定義や概念も違う上に、シュナイダーさんのように病態としても違いがあるようです。

先生

どうじゃ?少しはスッキリできたかな?

セラピスト

はい!わかりました!ただ一つ疑問なんですが…『身体図式』は残存しているにも関わらず『身体イメージ』が欠落している患者さんはシュナイダーさんの症状を見ていく中で分かったのですが、その逆って存在するんでしょうか?

先生

逆というと…『身体図式』が欠落しているにも関わらず、『身体イメージ』が残存している。ということかの?

セラピスト

はい、そうです。

先生

ふむ、いい疑問じゃ。その答えじゃが…実は実在するんじゃ。では次はそのケースについて話していこうかの。

セラピスト

はい!お願いします!

ケース② 身体図式が欠落したウォーターマン

次に紹介するのは、イアン・ウォーターマンという人物なのですがご存知でしょうか?

彼についてはイギリスの神経生理学者であるジョナサン・ポールが論文にまとめています。ウォーターマンさんは、精肉加工をする仕事をしており、あるとき仕事中に刃物で誤って手を切ってしまいました。そして、不運なことに傷口から何らかのウイルスに感染し、その影響により神経障害を患ってしまったのです。

その神経障害というのが非常に特殊で、症状がこちらになります。

『頚部から下の触覚と固有感覚が消失し(求心路遮断)、体性感覚フィードバックが全く得られない』と、こういった症状を呈していたのです。

本人の内省としても以下のように言語記述されています。

眼を閉じてしまうと、身体がなくなってしまったように感じる。

これらの症状により、最初は全く身体を動かせない状態にありましたが、一方で脳の運動命令(遠心路)自体は残存していたので、意識的に身体を動かすことは可能だったようです。

そして、頚部から下の体性感覚が消失するという症状に見舞われながらも彼はリハビリを始めました。まず最初は、手を動かすところから始めたそうです。

ただ、手を動かすためには2つ必要条件がありそれは動かす手をジッと見つめなければなりませんでした。更に見つめるだけではなく、頭の中で一度イメージすることでなんとか動かすことが出来たそうです。そこから少しずつ食事や書字、歩行へと運動の幅を拡大し出来なくなっていた運動を再学習していきました。

いま述べてきたように、彼は身体を動かすと言っても健常の頃のように簡単に動かせるわけではなく、見つめたりイメージしたりといった手続きが必要でした。そこで以下に、彼が自分の身体を動かしたり、維持したりする場合の必要条件を挙げていこうと思います。

①動かす部位を視野内に留めておかなければならない

必死のリハビリの末、手を動かすことは出来る様になりましたが、それでもやはり一度視野の外に手が外れると動かせなくなるのです。歩行においても同様で、動画を見ていただくと分かりますが、歩くときは必ず下を向いて足を視野の中に入れておかないといけません。

②意識的な制御が必要

先程も述べたように、彼は動かす部位を見つめておかないといけないことにプラスして、これから動かす部位について常に考え、イメージしなければなりませんでした。

私達が普段無意識で行っているような運動(歩行など)も一回一回意識して行わなければならないのです。また、それは動かす部位に留まらず、例えば立位で右手を動かす場合であれば、意識を下肢まで及ばしていないといけません。

それは、右手ばかりに意識が向いてしまうと、たちまち倒れてしまうからです。

③重心の位置が掴めない

私達は立位で倒れないようにしようと思ったら、支持基底面の中に重心を留めておく必要がります。

そのためには姿勢が大切ですが、健常であればわずかに身体が傾いたリするだけで身体にある様々なメカノレセプターが反応し体性感覚情報としてその情報を脳に送ります。その結果、身体のバランスを補正し倒れないよう姿勢を維持することが出来ます。

しかし、彼の場合は体性感覚が遮断されているので、姿勢を維持するためには視覚をつかって、周辺にある真っ直ぐな物(ポールなど)を参照して、それを基準にして自身の姿勢がまっすぐなっているかどうかを判断しているのです。

身体イメージ&身体図式の違いを表にまとめるとこんな感じ

さて、以上ウォーターマンさんの症状を見てきましたが、これを踏まえた上でシュナイダーさんとの病態を比較してみようと思います。

なんとなくここまで見ていただいてお分かりかもしれませんが、ウォーターマンさんはシュナイダーさんとは異なるタイプの病態です。

シュナイダーさんは、無意識に行う運動(腕を掻く、鼻に手を持っていく)は可能ですが、一度自分の身体に意識を向けると突如として運動が行えなくなります。

一方ウォーターマンさんは逆で、無意識に運動を遂行することは限りなく不可能に近く、身体運動を行う際には、一度身体に意識を向けイメージを行ってからではないと運動が行えません。

冒頭で、『身体図式』と『身体イメージ』の違いについてその定義を一覧でまとめましたが、この違いは『意識』にあったというのを覚えているでしょうか?

とすると、ここまで見てきた二人の症例を図式化してみると以下のように表すことが出来ます。

身体図式身体イメージ
シュナイダー
ウォーターマン

表にあるように、二人には身体イメージと身体図式の欠落の仕方が対称的となっています。そして、これ以外にさらにもう一つ、この両者には違いがあります。

それは『運動学習』という点です。

シュナイダーさんは、新しい運動を獲得するのが非常に困難です。一方で、ウォーターマンさんは手の運動からスタートし、食事や歩行など運動の再学習が図れています。

一方は運動学習が困難で一方は運動学習ができた。この違いは果たして何なのか。

ここからお話しするのは、『身体図式』と『身体イメージ』が運動学習とどのように関連しているのか、最後にこの点について解説したいと思います。

『身体イメージ』&『身体図式』と運動学習の関係

先程も述べましたが、シュナイダーさんは運動学習が困難です。その理由は、自分の身体に意識を向けることが出来ないからです。

ヒトは新しい運動を学習するとき、少なくとも必ず自分の身体に意識を向ける必要があります。

幼少期の頃、自転車に乗れるようになったときのことを思い出していただけるとわかると思いますが、これまでやったことのない新しい運動をする時は一生懸命自分の身体に意識や注意を向け、トライ&エラーを繰り返しながら徐々に運動が習熟していきます。

運動学習の初期では、非常にぎこちなく、まるでロボットのようなそんな動きをしていますよね。

これを神経学的な視点からお話しすると、まず新たな運動を行う時は運動指令と共に随伴発射である遠心性コピー情報が頭頂葉や小脳に投射されます。

この図にある『予測感覚フィードバック(随伴発射)』とは…

『Aという運動をするとBという感覚情報が返ってくるだろう』という、いわゆる運動の予測です。

つまり脳は、運動が実際に生じる前にあらかじめ『この運動を行ったら、こんな感覚が返ってくるだろう』という予測情報も込みで遠心性コピーとして発射しています。

そして、実際にその運動によって生じた感覚情報が、遠心性コピーである予測と比較照合され、そこでもし予測と実際の感覚フィードバックに不一致が生まれた場合には、その誤差情報が運動学習に利用されていくわけです。

そして、この誤差がだんだんとなくなっていき、一致してくるといわゆるぎこちなさが少なくなり、円滑に運動が行えてきます。言い変えると『コツ』を掴んだ状態がこの状態に当たります。

そのように獲得された運動は、徐々に内部モデルとして脳に保存され、いちいち身体に意識を向けなくても無意識で運動が行えるようになっていきます。

この無意識な状態で円滑な運動が生成されている時に運動のベースになっているのが『身体図式』だと解釈することが出来ます。

つまり、ここから何が言いたいかと言うと…運動学習の初期は必ず身体に意識を向ける必要がある。言い変えると身体イメージがなければ運動学習が出来ない」ということです。

つまり、「身体イメージは運動学習の入り口になる」のです。

身体図式と身体イメージまとめ

身体図式と運動学習について…

運動学習というのは、すでにあるいま現在の身体図式を更新していくプロセスであるとされています。

メルロ・ポンティは

「コツ」をつかむことと言うのは『身体図式の組み換えであり更新である』(田中.2013)

と述べています。また…

意図的なコントロールのみで獲得できる動作は、既存の身体図式に備わる運動レパートリーで対処できるものであり、“学習に伴うべき新規性を欠いている”(田中.2013)

と述べられています。解釈すると、『身体図式は運動学習によって更新されるものであり、意図してコントロールできる運動というのは、それは運動学習と呼べるほどの新規性を備えていない。』ということになります。

つまり、『身体イメージ』×『身体図式』×『運動学習』についてまとめると…

運動学習により「コツ」をつかむことによって身体図式は随時再編、更新される。

コツをつかむプロセス(運動学習の特に初期)には『身体イメージ』が不可欠である。

と、解釈することが出来ます。

以上が身体イメージと身体図式の違い、そして運動学習とのつながりについてでした。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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